メニュー

西小学校東小学校北小学校南小学校相野山小学校香久山小学校梨の木小学校赤池小学校竹の山小学校日進中学校「日中健児のつぶやき」
学校の概要周辺地図年間・月間予定表交通安全学校からの文書学校からの各種おたよりR2 部活動方針部活動だよりリンクリストPTA活動日中健児のつぶやき(H30)日中健児のつぶやき(R1)日中健児のつぶやき(R2)
日進西中学校日進東中学校日進北中学校作品募集のお知らせ

日誌


2018/10/11

10月11日(木)心の「断捨離」

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
心にはいろんな感情が湧きます。
いろいろな気持ちを持つわけです。
ポジティブな気持ちだけでなく、ネガティブな気持ちも私たちは持っています。
心という空間にいろんな気持ちが積まれています。
皆さんは気持ちを出していますか?
出さないと心が便秘になってしまいます。
私はこれが鬱積(うっせき)した心、鬱々とした気持ちだと思っているのです。
「鬱」というのは「溜まっている」「詰まっている」状態です。
心も「詰まり」ができてしまうということです。
心の中に溜まったポジティブなものやネガティブなものを出すことを何と言いますか?
それは「表現」です。
だから悲しいことも嬉しいことも「表現する」必要があるわけです。
心も体も住まいも出口から出すからこそ、また新たな流れが生まれ、さわやかな空間
になっていくのです。

出すと心や体、住まいがきれいになる。
出さないと溜まって詰まってしまう。
これが住まいだと「物であふれたお家」になります。
同じ状態は体にも心にも起きます。
だから必ず「出す」必要があるわけです。
でも、「出す」「捨てる」には制限があります。
それは「時間と場所」という制限です。
体で説明します。
たとえば排せつの時間と場所です。
子どもはオムツを外された時から、「トイレに行きなさい、トイレ休憩の時間に行きなさい」
と言われます。
それ以外でトイレに行くと恥ずかしいですね。
要らなくなった家の中のモノを外に出す時も時間と空間の制限を受けます。
ゴミの日やゴミを出す場所も決まっています。
それ以外で出すと近隣住民からひんしゅくを買います。

心に話を戻します。
心という空間に気持ちがいっぱい溜まったら、表現して出していくのが自然な営みです。
でも私たちはそれにも制限を掛けています。
「こんな時にこんなところで泣いたらみっともない」とか、
「こんな時にこんなところで笑ったら見苦しい」とか。
本来は自然に出すべきものに私たちは制限を掛けてしまう。
だから溜まるのです。
溜まったら詰まります。
これが私たち現代人の課題です。

昔であれば、ゴミを庭に埋めたり燃やしたりしてもよかったのですが、
今そんなことをしたら大変です。
子どもの頃は本音を平気でぶつけ合えましたが、大人になってそれをするのは
なかなか難しいです。
出すことに制限があるなら、いかに洗練された形で出していくかが大事です。
ですから私たちはその出し方を身に付けなくてはならないのです。
これを身に付けるのと身に付けないのとでは、人生が大いに違ってくると思っています。

きっと、今の子どもたちの「課題」でもあります。
「いい子を演じる!」と溜まりますよね。
今の学校の子どもたちを見ていて、「いい子を演じる子」「演じている子」には
「その出し方」を身に付けてほしいと考えています。
自分自身も「何事も」出すことが大切であり、その伝え方が重要だと思っていましたので
まさに、その通り!と思って聞いていました。
何か、社会全体が「心に溜めて」「便秘気味で」その裏側で「愚痴をこぼし合っている」
そして、その鬱憤を晴らすように「ターゲットになりやすい」
弱者や公的な機関にような気がしてなりません。
そんな大人にしないよう、「溜まったものの出し方」を大人なりに伝えていきたいものですね。
よろしくお願いいたします。
09:51 | 投票する | 投票数(12) | コメント(0)