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2020/01/06

1月6日(月)日本講演新聞より

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
「真の人間の人生には悲哀や慟哭や呻吟がある」
 現在の日本は、歴史の様々な過程によって「人間とは本来どういうものか」という大前提を誤解して成立している社会です。
  我々は人間ですから人間として生きるのは当然ですし、生活の中心にあるのが「人間を大切に扱う」ということであるべきです。
  そして皆さんは人間として正しく生きるのがいいと思っているでしょうし、人間としての価値を発揮したいと思っているはずです。しかし、その人間の解釈の仕方をある時期から誤ってしまったのです。

  僕は「真の人間とは何か」ということを長年研究してきました。
  有史以来、文学において「真の人間」を目指す代表的な物語の一つに『ドン・キホーテ』があります。
  その『ドン・キホーテ』をこよなく愛したスペインの哲学者にミゲル・デ・ウナムーノという人がいます。
  彼は自身の著書『ドン・キホーテとサンチョの生涯』の中で、「本来の人間」について定義しています。この定義が僕はものすごく好きなんです。この定義以上の「本来の人間」の定義はないんじゃないかと思っています。
  それは「人間以上のものたらんと欲するときにだけ、人間は本来的な人間となる」というものです。
  つまり、「人間でありたい」とか「人間として生きたい」では、人間にはなれない。人間は「不可能と思われることに挑戦し、人間には無理だと思うようなことに挑むのが人間なんだ」ということです。
  これは、歴史上の優れた人の人生を見ると本当にそう思います。
  人間以上のもの、たとえば不可能と思われるものを目指し、それを成し遂げたいと思って死に物狂いで修行し、勉強し、そういう人たちの人生からポロッと出たことを、他者が「偉大だ」と言っている歴史があります。
  たとえば、ニュートンという人を我々は数学者、物理学者という側面で理解していると思いますが、実は彼は偉大な宗教家であり、熱心なキリスト教徒であり、錬金術師でもありました。
  ニュートンはケンブリッジ大学の教授をしていたのですが、大学のチャペルで毎日10時間、祈っていたといわれています。
  あれほどの物理学者が1日の大半を費やしていたのは祈りだったのです。そういう宗教的な生活の中から、ちょっとだけ出たのが「ニュートン力学」なのです。
  実際に全著作を読むと、80%ぐらいは宗教関係の著作です。科学者としての著作は1割から2割あるかないか、そのぐらいです。
  僕が言いたいことは、そういう過去の人たちが呻吟した魂が残したものを我々は利用して現代文明を築いているということなんです。それに気付いて欲しいんです。
  最初に「人間の解釈の仕方をある時期から誤ってしまった」と言ったのは、偉大な発明や発見という成果だけで人間が解釈されているということです。本当は、苦しみ、慟哭し、呻吟するのが真の人間なんです。
  現代で言うと、「生命の本質とは何か」とか「真の愛とは何か」とか、こんなことを考え出したら本当に苦しみます。
  僕は子どもの頃からそういう人生の根源的な悩みを抱えていました。でも文学をこよなく愛していましたから、そういう苦しみを抱きながら生きていくことに価値があると思ってきたのです。
 
 真の人間とは、現世の人間にはなかなかできないことを志向する人間です。永遠を志向し、愛を断行し、自己の肉体を何ものかに捧げ尽くさなければならないんです。これは「宇宙の神秘を解き明かすために生きる」ということです。
  昔の人は信仰というものがあったので、今言った「呻吟する人生」を生きることができました。そういう人たちは本当に素晴らしい人生を送っています。
  ただ現代人は、ある意味、神を失っているので苦しみ、もがく人生に何の意味も見出していません。
  従ってその次元に到達するには、もっと深く宇宙のことや生命のことを勉強して、自分の生命の淵源に突き進もうと思う気持ちがないと、真の人間にはほど遠いわけです。それをやることが現代科学の本来的な使命だと思うのです。これが僕の本来的な人間の捉え方です。
  だから今の時代は何が重要かというと、「青春の苦悩」です。これがやっぱり一人の人間をつくり上げていく原点じゃないかと僕は思うんです。
  一言で言うと、「自分の命を捧げ尽くすものを追い求める」ということです。これ以外の悩みは「青春の苦悩」じゃありません。ただの自己固執、エゴイズムです。
  「自分が認められない」とか「自分のしたいことができない」とか、そういう悩みは自分の欲望が達成されていないだけです。
  悩みとは何か。呻吟とは何か。苦悩とは何か。それは「自分の命を捧げ尽くすものを探し求める」ということなんです。
  そしてさらに大事なことは、その「苦悩」や「呻吟」の先にある「自分の命を捨てるに値するものを見つける」ということです。それが真の人間のやるべきことです。これを見つけることこそが本当の人生です。
  それを見つけると、本当の死を全うできます。「自分の生命よりも大切なものは何かを追求する」、これが真の人間の悩みということなのです。

親愛なる日中健児のみなさん!
自分の命を捨てるに値するものを見つける!!
とても難しいことですが、「命を捨てるに値する何か?」
そんな出逢いがあることを願っています。
「何もない?」「平凡な日常」も大切ですが、何かを追求する生活も充実する?
のかもしれません。
平凡な時間を「どう使っていいのか?」分からない現代人!!
「何を追求したいのか?」分からず充実できない現代人!!
人間は悩むために生まれてきたのかもしれませんね。
がんばれ!!日中健児!!

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