ジャパネットたかた創業者/株式会社 A and Live 代表取締役 髙田明
<市場をつくる>
私は25歳の時にそれまで勤めていた会社を辞め、故郷である長崎県平戸に帰りました。人口2万4000人のその小さな町で、両親は「カメラのたかた」という写真館を経営していました。
当時の平戸は観光産業が盛んで年間200万人近い観光客が訪れていました。両親はカメラの販売だけでなく、その観光客の写真を撮り、現像し販売していたのです。
カラー写真が普及し始めた頃で父はいち早く写真の現像所を作りました。そしてホテルの宴会場に出かけては写真を撮り、夜に焼いて朝に並べてそれを販売しました。
「アキラ、おまえも手伝え」と言われたので、私もその仕事を手伝うようになったのです。
結局その写真業は40歳になるまで15年間続けました。撮影の仕事をしていて分かったこと、それは当たり前のようですが、「いい写真を撮らなければお客さまに買っていただけない」ということです。
たとえば、撮った写真をお客さまの前に並べ、「奥様、ここに写っていますよ。いかがですか?」と見てもらいます。でもお客さまは「いや、これは私じゃない。私はこんな顔してない」と言うのです。何度私が「これは奥様ですよ」と言ってもそう言い張るのです。
私はその時に気付きました。「最高の表情の写真を撮ってあげていないから、お客さまは買おうとされないんだ」と。
ですから、それからは「さぁ今から写真を撮りますよ~。笑顔でこっちを向いてくださいね~」と何度も声をかけて撮るようにしました。そうすると、どんどんいい表情の写真が撮れるようになったのです。
たとえば、50人の団体のお客さま全員が1枚500円の写真を買うと、売上は2万5000円です。そこで私は「1人がさらに2枚、3枚と買ってもらうにはどうしたらいいだろう」と考えました。
ひらめいたのが「仲の良さそうなグループを見つけて撮る」ということです。すると、もう1枚買ってもらえるようになりました。また宴会で列になって座った写真を撮ると「さらにもう1枚」と買ってくださるようになりました。
そのうち添乗員さんに「宴会が始まる前に集合写真を撮りませんか」と持ちかけました。「写真に『歴史とロマンの島、平戸』の文字も入れますよ。きっといい記念になりますよ」と。
これもだいたい8割くらいの方が買ってくださり、一気に売上は7万円から10万円になりました。
「市場をつくり出す」ということを私はそこで学びました。
<商品の伝え方>
人口24万人の佐世保に出ていったのは30歳の時です。
佐世保に出て10年ほど経った1989年のこと。ソニーが家庭用の8㍉ビデオカメラを発売しました。テレビにつないだだけで、撮影してすぐに映像が見られるのです。当時は撮ってすぐに見られるというのはとても画期的なことで、本当に驚きました。「これは絶対売れる」と思いました。
私はすぐにソニーに連絡し、「売らせてください」とお願いしました。しかし「販売実績がない」ということで断られました。
でも何度も何度もお願いして特約店になり、ビデオ販売に力を入れました。1年でかなりの実績を積み上げて、九州で1位か2位の成績でした。
どうしたかと言うと、写真現像の注文を受ける時、お客さまに住所や電話番号を書いてもらいますよね。写真を見れば家族構成も分かります。「このお宅にはお孫さんがいる」「このご家族には小さいお子さんがいらっしゃるんだな」と。
そういうお客さまのご自宅に伺い、お茶の間に上がり込み、お子さんやお孫さんを撮影しました。そしてそれをそのままテレビにつなぐと、すぐにお子さんやお孫さんがテレビに映ります。
その瞬間、お子さんやお孫さんはテレビの中のスターになるんです。映像をご覧になったお客さまはとても喜ばれ、半分くらいの方が購入してくださいました。
そうやって家庭用ビデオカメラの商品の凄さを伝えたのです。
そのうち「髙田さん、買いたいんだけど、この前お金使ったばっかりなんだよ」と言われるお客さまには「分割がありますよ」とお勧めしました。そこから生まれたのが、ジャパネットでよくやっている「分割金利手数料ジャパネット負担」のサービスでした。
<格差を越える> 3000万円だったお店の年商は、やがて2億円を超えるほどになりました。
よく「うちは地方だからね」とか「人口がどんどん減ってるからね」と、うまくいかない理由ばかり言う方がいらっしゃいます。でもそんな「格差」ばかり意識していたら決して乗り越えることはできません。
人間はみな同じ能力を持ってこの世に生を受けていると私は思います。同じ人間だから劣等感も優越感も要りません。どんな人も生まれてきた時は裸です。「学歴も地域格差も一切関係ない」と考えるところからそれを越えていく力が生まれるのです。
私があのようなビデオカメラの販売方法を思い付いたのは、それまで必死でカメラを販売していたからです。だからほかの商品の販売も見えてきたのです。その「今を一生懸命に生きる」ということが発想力やアイデアの根本的な力だと私は思っています。
その後、37歳で「株式会社たかた」を設立し、独立しました。
40歳までカメラ店を続け、あの運命のラジオショッピングと出会っていくことになるのです。
新型コロナウィルス感染拡大で右往左往している昨今ですが、
ジャパネットたかたの社長のように「たくましく」生きたいものです。
いろいろと不安なことも多々あるとは思いますが、
将来の先の「不安」に縛られているよりも、
「今を一生懸命に生きる!」が、やはり原点ですね!
難しですが、このような時ほど「大切な考え方」だといつも思います。
親愛なる日中健児のみなさん!
第2次世界大戦ではありませんが、
このような「いままで当たり前」だったことが、「できなくなる!」
これからの将来、きっと、予測しないこのようなことが起きるでしょう!
先生方とも誓い合いました。
「今を一生懸命に、子どもたちとの目の前の時間を一生懸命に!!」
「一日でもあれば、そこに全力を傾けよう!!」と・・・・・!!
ともに、この難局を乗り切りましょう!!