日誌


2018/02/27

2月27日(火)内助の功(みやざき中央新聞)

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
当時、馬は武士のステータスシンボルでした。
いい馬に乗っているほど経済力があるということだったからです。
「雑兵(ぞうひょう)」と呼ばれ、その他大勢の扱いをされる足軽なんかは
自分の馬を持てません。
ところが一段昇格して侍になると、「旗指物(はたさしもの)」という自分の紋をつけた
自分だけの馬に乗れるようになります。
戦の時には目付という役職の人がその紋を見ているので名声に繋がるのです。
また、足軽は槍や刀を貸してもらえますが、給料を貰う侍は自分で武装を揃えなきゃ
いけません。
現在と同じですね。
そうして自分のお金できちんとした鎧や刀、馬を揃えていると、主君から
「おまえは心がけのいい侍だ」と褒められることになります。

そんな中、織田家に1人の侍がいました。
NHKの大河ドラマ『功名が辻』の主人公にもなった山内一豊(やまうち・かずとよ)です。
彼は貧乏侍でしたから、いい馬を持っていませんでした。
ある時、奥州から見事な名馬を引いてきた商人がいました。
「いいな」と思った一豊が値段を聞いてみると金10枚、100両です。
「そんな金はない」と一豊が言うと、商人は彼を馬鹿にします。
「安土といえば天下人の織田信長がいるというのに、その家来はろくに金も持っていない
のか」と・・・・。
一豊が悄然と家に帰ると、その話を聞いた妻の千代さんは「じゃあ、あなたこれで
買ってください」と言って、なんと金10枚をぽんと出してくれました。
千代さんは夫の有事に備えてそんな大金をこっそり持っていたのです。
それで一豊はその馬を買うことができました。
その後、京都で軍事パレード「馬揃え」が行われました。
これは天皇に対し「織田の家中には素晴らしい兵がおります」とアピールするもので、
織田家に仕える全ての家来たちが自慢の刀や槍、馬を携えて信長と天皇の前に出るのです。
そんな時、武装は貧しいのにすごい名馬に乗っている一豊が出てきたものですから
「あいつは誰だ」と注目を集めました。
「あれは山内一豊というのか。あんないい馬をどうしたのだ」と尋ねた信長は
一豊が馬を手に入れるまでのいきさつを聞き、二度感心したといいます。

一つはそのような名馬を買おうとした一豊の心がけがいいということ。
そしてもう一つはとっさに機転を利かせて金を工面できた妻が素晴らしいということ。
別のところに行った商人に「織田家は馬も買えない貧乏侍ばかりだった」と吹聴されて
しまったら、織田家全体の恥になるからです。
「それをおまえたち夫婦はよくぞカバーしてくれた」ということで、
この出来事が山内一豊の出世のきっかけになったといいます。
この話は、江戸時代は「婦道」、明治時代は「修身」という、今でいう道徳の教科書に
載っていました。だからかなり有名な話なのです。
「夫の外部での働きを支える妻の功績」や「影の功労者」を指す言葉である
「内助の功」の語源を探っていくと、必ず山内一豊の妻・千代さんの話が出てくるんですよ。

親愛なる日中健児のみなさん!
まだまだ、先の話だとは思いますが、「夫婦」など「二人で協力する関係」を考えたとき
今から、考えておくのも良いのではないでしょうか?
「内助の功」!?
昔の話ですか?
それとも、今でも通用する話ですか?
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