日誌


2017/08/24

8月24日(木)監督

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
埼玉県民730万人の「悲願」がついに!!
1949年(昭和24年)、熊谷高校が夏の選手権に出場して以来、
1951年に熊谷高校が京都の平安高校に、
1993年には春日部共栄高校が育英高校(兵庫)に敗れ準優勝に終わっています。
今まで、埼玉県には深紅の大旗は縁がない?ままになっていました。

そんなことが関係してか、「一つ一つ勝っていくだけ!」と岩井隆監督は「優勝」を
決して口にしませんでした。

しかし、それに向かって6月、今大会すべてに先発した綱脇彗選手に対して、
ある「賭け」に出ていました。
練習試合でストレートを禁止し変化球のみで勝負させていました。
ストレートが解禁になっても「全然走らなかった」(綱脇)とどん底状態の右腕に
「1年間もつ体力がないかもしれない」(岩井監督)と投球禁止令を出し、
埼玉県予選が始まる1週間前まで「走り込みと体幹トレだけ」を命じました。

その当時を振り返り「必ず7月中旬にはストレートも変化球も戻ってくると思っていた。
賭けですね。もしダメなら投手は清水だけになっていたから」と話しています。
なぜ練習試合で変化球だけの投球をさせたのか?
なぜ投球禁止を出したのか?
深紅の優勝旗を手にした今、綱脇選手は納得しました。
それは、
「岩井先生はぼくの体調を考え休みも与えてくれ、どん底のときも先発で使ってくれた。
あの変化球だけの試合、スライダーのコントロールがこの甲子園で生きました」と
語っていることから・・・・・・・。

ここまで考えて手を打ってきた岩井監督は「恐るべし!」ですね。
打線も「甲子園に出るため」県予選、そして甲子園の1、2回戦まで様々な制約を持たせ
ています。
1 投手を見極めるため、試合の流れなどで打ちたい打者に待てのサインを何度も送る。
2 3回戦、実力伯仲の前橋育英戦ではその制約を取り払い、一気呵成に攻めろ!と指示。
3 初回、4長短打に四球も絡め一挙4点を奪い主導権を握った。
  その攻めは“凄味”さえ感じさせるものでした。
過去4回の出場で、3回は敗戦相手が「優勝校」になりました。
4 「勝つためには破壊力が必要」と冬にはハンマーを使った過酷トレも敢行。

すべてが優勝するため!!。
「監督」は、表には出しませんが「心の中」では、さまざまなことを考え、さまざまな手を打つ!
時には「賭け?」を打つときも・・・・・・・・・。
しかし、「博打」ではありません。徳川家康のように「勝算のある」「ほぼ勝てるだろう」という
場合に「賭け」という言葉を使う監督が「常勝集団?」を作るのかもしれませんね。
ともに頑張りましょう!!
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