●総合幼児教育の教育理念と実践●

一、大脳生理学と総幼研の教育理念

総幼研の指導理念は、幼児の大脳発達の原理に基づいています。即ち環境優位の教育理念です。
すべての子どもは140億という、膨大な数の脳細胞をもって生れてくることが明らかになりました。ただし、生れたままの脳細胞のひとつひとつは、いわゆる「種」のようなもので、まわりの環境がうまくはたらかないと、充分に「芽」が出ないという仕組みになっています。
つまり種は、将来に向けての無限の可能性をもっていますが、適切な時期に必要な縁 がはたらかないと、根もはらないし、芽もでない。そればかりか、適切な時期を逃すと、 もはや種そのものの生命 可能性さえ壊してしまうことになるのです。
縁が種の機能をはたらかせることが可能な幼児期に、「知・情・体」の調和のとれた教育環境を整え、「動きとことばとリズム」を基調とした最も適切な経験を与え、活発な活動をくりかえし展開して、子どもたちの人間形成の根幹を作る教育、それが総幼研教育です。
当吉沼幼稚園・吉沼保育園は昭和59年度に大阪パトマ幼稚園を中心に発足した「総合幼児教育研究会」(略して総幼研という)に加盟し、現在は全国170の幼稚園・保育園の同志とともに総幼研教育を実践しております。
 

二、創造性の教育・人間性を培う教育

幼児教育は人間性の根幹としての知性・感性を育てるための教育であります。
6才以後(小学校入学以後)の教育は知識や技術を教える教育です。しかし、0才から5才までの教育は理屈ぬきで感覚を育てる教育です。従って6才以後の教育とは異なり知識・技術を教えるという構えがあってはなりません。
将来において(21世紀の高度化社会のなかで)多様な情報を処理して、知識や技術 を身につけていくための本性としての豊かな知性・感性を育てる教育であり、つまり人間として生きていくために必要な、知的感覚や基礎能力、即ち「悩力」を育てる教育であるということです。
創造性とは、知性・感性というたくましい根をもち、さらに知識・技術という豊かな枝葉をそなえた木に咲く、大輪の花であるといえるのではないでしょうか。
私達は、その大輪の花を咲かせるためにこそ、いま、人間性の根幹を深くたくましく育むことをめざさなければならないと思います。
人間性を培う教育―幼児教育は、知・情・体のバランスのとれた総合教育であらねばなりません。知性・感性を育てるということは、知・情・体三位一体の総合的生活経験によらねばならないということです。
さらに視聴覚と触覚、つまり目で見る、耳で聞く、体を動かす、そして手先の運動などが、激しく大脳神経を刺激し脳の配線を促進するのです。すなわち、幼児教育とは、よりよい生活環境の設定であり、より豊かな知的生活経験を引き出すということに言いつくされると思います。
一時、「もじは書けるが靴のひもが結べない子」のフレーズで、早期教育の批判が流行したことがありますが、私達のめざす教育はあくまで心身ともにたくましい人間性を培うことであって、そのためにこそ子どもたちが求めてやまない知的生活経験を重要視しているのです。
つまり、知的生活経験ないしは、音楽や体育といったリズムや動きの感覚刺激がバランスよく組み込まれた保育活動によればこそ、子どもたちの情緒が安定し、よって集中し、行動するというたくましい生活力が育つのです。
私達の知的教育は、決してそれ自体が目的ではなく、むしろ私達が今目指してやまない人間性豊かな教育をより効果的にすすめていくための、重要な手段であると言うことを理解していただきたいのです。
幼児の発達には、知的な成長を無視しては考えられませんのに、現実の社会風潮としてはこれを軽視したり、未だ早いとか、そのうち自然に発達してくるからとかいって、幼稚園・保育園の現場では批判的な意見が多いのは実に残念でなりません。
 幼児の健全な発達において、体の健康とともに知的な成長は最重要視しなければなりませんが、だから「もじ」や「かず」を教えるということではなくて、むしろ知的生活経験(本を読んだり、日記を書いたり)をも含む生活経験の確立こそが、最重要課題であるといいます。
 

三、幼児の主体性を引き出す教育

幼児の主体性とは、「決してわがまま、気ままということではない。しっかり自己をコントロールできる責任者としての自覚を育てることであり、他者との関係において主体的に活動することが可能になる」ことである。従って幼児教育とは、「集団生活を通じて、仲間とのかかわりあいを楽しみながら、さまざまな活動に参加し、それぞれの自己をたかめていく」という、教育目標が達成されなければならないということです。
ただし、幼い子どもたちはまだまだ生活経験も浅く、さまざまな活動について、必ずしも主体的に、意欲的に参加してくれるとは限りません。
そこで、教育目標が先行して、なんとかさせなければならないと、いわゆる教師や親の「教える構え」が先行しますと、これが押しつけとなり、幼児たちの拒否反応を招くことになってしまいます。
西も東も分からない幼児に、好きなことをさせなければならないと主張する根底には子どもは幼い、頼りない、まだまだ半人前という考えがあるからです。
たしかに幼い子どもたちに、理屈でものをわからせようとするのは無理ですが、感覚的に肉体で吸収する力は決して大人の比ではない、素晴らしい本性を備えているのです。とくに、「ことば」「音楽」「運動」については、いまが臨界期といわれる最大重要なときに、好きなことをさせればよいといって、ただ手をこまねいて傍観しているというようなことは、決して許されることではありません。
どんどん良い感覚刺激を与えて、それぞれの個性の伸長へ基盤を固めていく必要があるのです。
幼稚園・保育園での活動が、系統的、段階的に秩序正しく組み立てられ、園生活を通して絶え間なく継続され、しかも主人公である子どもたちが、主体的、意欲的に取り組んでくれた結果として、6才の子がよい文章表現ができたり、すばらしい器楽演奏ができたり、とび箱が10段とべたり……というような成長の実績を示すのであって、決してそのこと自体が目的ではないということを、よくよく吟味していただきたいところです
 

四、集団生活で磨かれる個性

子どもの個性の伸長、ないし全人的な成長を保証する教育とは何か。
まず、ひとりひとりの発達の特性や個人差に執着するあまりに、ひとりひとりに対してのかかわりが、いわゆる面倒見がよいという過保護に陥ってはならないことを、押さえておかなければなりません。
「子どもは、好きにさせなければならない」という主流派の指導がありますが、これはまさか、わがまま気ままにさせることではないはずです。
子どもに好きなことをさせることで、情緒の安定を第一にとらえているのだと思いますが、しからば次に何があるのか、明確な指導がありません。
例えば、昆虫に夢中になっている子ども。もちろん、そのことは大いに共鳴し、共感して、その子の個性の伸長に役立ててあげなければなりませんが、そこにとどまってしまっては、幼児教育の目的は果たせません。人間として堂々と人生を生きていくたくましさ、人間形成の基礎基本、学力、体力、気力という、将来の学業につながる知性・感性の啓発という幼児教育本来の目的と、どうつながっていくのか、このあたりの解明がなくては説得力がありません。
もともと、ひとりひとりの幼児の発達の特性は千差万別であり、その個人差もあって当然だし、尊重すべきだと思います。
もちろん、集団生活の場においては、ひとりひとりへの対応については、当然個人差をふまえてのはたらきかけが肝要でありますが、それ以上に重要な目標、人間形成の基礎基本を体験する生活教育をどうするかに主眼をおく必要があると思います。
そこで、ひとりひとりの特性もさることながら、あらゆる幼児たちに共通の、いわば発達段階に即した特性をどうとらえるか。いわゆる幼児の発達観をふまえた集団教育のあり方こそが、今問われなければならない最重要課題であると思います。
集団生活を通し、先生や友だちとの心の交流を通して万人に普遍的な価値観をふまえた人間性啓発の営みの中から、にじみ溢れ出る個人の特性をこそ、ひかる個性というのでありましょう。