曹洞宗長楽寺住職
宗教間対話研究所所長
WCRP日本委員会特別会員
峯岸 正典

「宗教間の対話―他を受け入れるという道―」
 子どもの頃「大きくなったらお坊さんになって私たちの面倒を見てね」と、檀家さんから、にこやかに言われたことがある。その結果、お寺で育ったからといって、そのままお坊さんになっても良いものなのだろうかと考えるようになった。そして、古今東西にいろいろな宗教、さまざまな思想がある、それらの中で、先祖伝来のこの仏教が良いと言える根拠がどこにあるのかと模索するようになった。

 世の中に複数の宗教が存在し、それぞれが真理を主張しているかに見えた問題に近づいていくため、宣教師が哲学を教えている学校で私は学んだ。そこで真の宗教者の条件に気がついた。①明るいということ、②相手が浮かない顔をしているときに「今日はどうかしましたか?」
と声をかける積極的な優しさがあるということ、③他人には寛容であっても自分の信心には厳しいということ、の三つであった。さらに禅の修行道場で四番目の条件に気がついた。「④真の宗教者は無限の厳しさと優しさを兼ね備えている」。つまりキリスト教にも仏教にも立派な方
がいらっしゃるということだった。したがって〈あれか、これか〉という問題意識から〈あれも、これも〉という立脚点も探さざるをえなくなる。くわえて禅とカトリック修道院との交流から、二年間お世話になったドイツの大修道院で「もし誰かを本当に好きになったとしたら、その人のことをより深く理解したいと思うし、自分自身のことも正しく理解してほしいと願うようになるだろ
う」と宗教間の対話について受け止めた。

 宗教教団は「その教えが一番正しいと思う人たちの集まり」であるから、どうしても保守的になりがちである。同様に一つの教えに集うという求心力からは、そこに集わない人たちへの反動、バリアーが生まれてくる。〈分け隔てなく無条件に人と人とが結ばれることへのベクトル
を持つ〉と思われる宗教の中にある、この「反宗教性」をどう克服していくことができるのだろうか?

 結論を急げば、他に対して開かれているということが宗教、並びに宗教者にとっては大切で、限定された「みんな」とではなく、どこまでも広がる「みんな」とつながる努力が必要となる。そうした対話が可能となるためには、他を受け入れることが肝要で、そのためには、他をそのまま認めるという態度がなければならない。もしも対話で自己が深まらないとすれば、それは自分自身を閉ざしている証左と言いうるかもしれない。
 

(会報6月号より)
 

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