いわゆる「ブラック校則」。
「ブラック」という表現は、学校現場にとっては「非常に」残念な表現です。
「ブラック・・・・・」と言われ始め、多くの教員を志す若者を逃したことか???
マスコミの「ブラック」という表現は、インパクトがあり、視聴率や雑誌の購買率に
大きく影響するとは思いますが、将来の「教員を志す」多くの若者・人材を逃した
影響を考えると「将来に、大きな心配の種」を残すことになっている!と考えています。
さて、「校則」ですが、私も30年前から同じことを考えています。
校則は、学校を取り巻く社会環境や児童生徒の状況の変化に応じて、
絶えず積極的に見直す必要があると考えています。
しかし、30年間ほとんど変わっていません。
日進中学校は、30年前もとても議論した学校で、「見直す」下地は
十分にあると思うのですが・・・・・・。
それでも、・・・・・・・・。
校内暴力が吹き荒れた当時、「子どもたちを見直しの際に参加させる!」
「さまざまな行事などにも子どもたちを企画の段階から参加させる!」
などして、自分たちのもの、自分たちの学校という気持ちを持たせようと
努力をしてきました。
しかし、子どもたちのエネルギーが小さく、荒れも沈静化していく中で、
「校則」を変える必要性が無くなってきた??と感じる教員が増えてきました。
子どもたちが「何も言わないから?」見直す必要がない??
忙しいから、見直す時間がない?
いろいろな価値観が取りざたされる中で、このままでは「学校の中だけ」が
社会とは異なった世界に?社会に?なってしまうのではないか・・・・・・・。
そんな心配をしています。
「ブラック」といわれる前に、取り組んでいれば「言われなかった?」とも・・・・・。
「校則」はなぜあるのでしょうか?
そんなところから議論を始めていかないと・・・・・・・・・。
社会の変化がすごいスピードで変化していく現代。
学校現場が「ガラパゴス」にならないように、願っています。