「みやざき中央新聞より」
通行人がそのポスターを見ながら苦笑するシーンがあった。
誰かが「敵」という字の前に「素」という一文字を落書きしていたのだ。
海の向こうで日本は中国と戦争していた。
国民の生活は、まだそれほど逼迫してはいなかったが、戦況が泥沼化するるのを見越した
政府は、国民の食生活や服装、文化・芸能に対する検閲を強化していった。
「国防婦人会」が組織され、そのタスキを掛けたご婦人たちが「ぜいたく監視役」としてスパイ
さながら暗躍していた。
『ごちそうさん』の主人公・「め以子」は料理好きで、美味しいものを作って家族や近所の子ら
に食べてもらうことに生きがいを感じている女性だった。
彼女の家の台所も、ぜいたくな素材を使っていないか監視されるようになった。
ある日、「め以子」は婦人会が主催するパン作りに仕方なく加わった。
小麦粉ではなく、家畜用飼料の魚粉を使って、学校給食用のパンを作ったのだが、
それは吐き気を催すほどまずかった。
パンは食べられることなく大量に返却された。
子どもたちにまずいパンを作った自分が許せず、「め以子」の怒りが爆発した。
「め以子」は家中のお金をかき集め、肉屋に走った。
大きな豚肉の塊を担いで帰りながら、近所の人たちに「ステーキを配給します」と言い
ふらした。たくさんの人が「め以子」の家に集まってきた。
「このご時世にこんなぜいたくは非常識や」と誰かが言うと、「め以子」の姑が「ぜいたくは
素敵やで」と叫んだ。「食べるんとちゃいます。始末するんです。
こんなぜいたくな肉の始末を手伝うてくれると助かります」と。
近所の人たちは「わいも始末したるわ」と言いながら、満面の笑顔でステーキを食べる
のだった。
そんな時代を経て、本当に「ぜいたくは素敵だ」と言える時代がやってきた。
衣食住などの基本的生活から教育や文化、娯楽に至るまで、今や私たちの生活も、
経済の発展も、「ぜいたくは素敵だ」を具現化したものと言えるだろう。
「贅沢」と言うと、「限度を超えてお金や物を使う」というマイナスイメージを持つ人が多い。
環境破壊も人間が贅沢な生活をするようになった結果かもしれない。
そんな「質の低い贅沢」は論外として、そもそも人間だけが、必要最低限の生活から
抜け出して、「良質な贅沢」を手に入れるために生きてきた。
たとえば、イヌやネコは、毎日、食べて寝て、飼い主から可愛がられていれば満足するが、
人間は違う。
たとえ何不自由ない生活であったとしても、未来に夢や理想や希望を抱いて、何かを
創造したり、誰かの手助けをしたり、何かに挑戦していないと、「生きている」という実感を
持つことができない。
おしゃれをすること、快適な家に住むこと、少し高くても体にいいものを食べること、
旅行をすること、映画館やコンサートに行くこと、読書をしたり講演会に行って学ぶことなど、
そんな「素敵な贅沢」が人を幸せにし、人生の質を高め、文化・文明の発展のみならず、
経済発展の背景にあるのは間違いない。
すべての職種、すべての職業の中で、「贅沢」に関わっていないものは一つとしてないだろう。
おしゃれなんてしなくても生活できるし、勉強などしなくても生きていけるし、映画は観なくても
別に困らない。
もちろん、みやざき中央新聞を読まなくても死ぬことはない。
それでもそんな贅沢を求めるのは、私たちの心がそれを喜び、欲するからに他ならない。
「素敵な贅沢」は、自分だけでなく周りも豊かにし、いい社会をつくる。
だから、今年も「贅沢な情報」を振り撒こう。
贅沢だけでなく、「お金」なども人前で話をすると????
しかし、社会に出たら「生きたお金」を使う人と、「お金」を殺してしまう人と・・・・・・。
何事も、「使う人」次第ですね。
何事も、「素敵に」使える人になりたいものです。
「素敵な」とは、「自分だけでなく周りも豊かにし、いい社会をつくる!」
そんな「素敵な」学校、学年、学級、部活動にしたいものですね!