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日誌


2018/06/04

6月4日(月)みやざき中央新聞

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
今、先進国で「孤独」が大きな問題になっています。
孤独が健康に及ぼす被害は大きくて「毎日たばこを15本吸うのと同じくらいの健康被害
がある」といわれるほどです。
それほど孤独というのは命に関わる深刻な問題です。
誰とも触れ合うことなく1人ぽつんと生きていると、自分の存在の意味が分からなく
なってしまったり、「自分が何のために生きているか分からない」と感じてしまいます。
皆さん、どうですか。
「自分なんていてもいなくても同じじゃないか。存在しなくてもいいんじゃないか」と
感じることって、どなたにもあるのではないでしょうか?
そういう、じわーっと染みてくるような感情も、実は「孤独」なのです。
そういう存在レベルの孤独を感じることって、みんなありますよね。
僕だってあります。
そういう時に、自分の気持ちの落ち込みに歯止めを利かせてくれるのが、
心と心の触れ合い、気持ちと気持ちの温かいつながりです。
これを「リレーション」といいます。
誰かとの触れ合いやつながりがあると、そういう悩みの中でもふっと立ち止まることが
できるのです。

私は中高校生の時、人生の意味に悩んでいました。
高校2年生の時には自殺未遂をしました。
そんな青春時代でした。
ではそこからどうやって私が立ち上がれたのか。
それは2人の支えのおかげでした。
一人は、どーんと構えていた母親です。
高校生の時、生きる意味を探し悩んでいた私は、授業を全く聞かずに哲学や心理学の本を
読んでいました。
先生方もそれを心得て、私だけ当てるのを外してくれていました。
母との二者面談の時、担任の先生は言われました。
「まぁ、諸富君は無理ですね。彼のことは僕たち教員ももう諦めてます。
完全に違うワールドに入ってますから」と。
すると母はこう言いました。「私もうちの息子は世捨人だと思っています」と。
私はそれを聞いた時、「これは母の覚悟の言葉だ」と思いました。
担任の先生が言われたような見捨てる気持ちではなかったのです。
つまり、「うちの息子のことだから、今はあんなに悩んでいるけど、そのうちきっと何かに
気付いてくれるに違いない」という「信頼感からの諦め」です。
その言葉の背景には母の信頼があると私は感じたのです。
その信頼が私にもじわーっと伝わってきて、だからこそ私は徹底的に悩むことができました。
悩んでいる本人に対して、家族ができる最大のことは、どーんと構えることです。
お子さんが自殺未遂をすれば、家族もうろたえてしまうのは当然です。
でも少なくとも本人以上には揺れないという覚悟が大事です。
そうすれば、そのうちだんだん本人の心の揺れ幅は小さくなっていくのです。
もし親が「うちの子はどうなっちゃうんだろう・・」と本人以上にうろたえてしまうと、
本人が親に遠慮して悩むのを止め、大丈夫なふりをするのです。
でもそれは一時的な落ち着きであり、根本的な解決にはならないのです。
もし、私もあの時、母に遠慮して悩むのを止めていたら、今でもくすぶったままだったかも
しれません。
「周りがうろたえない。どーんと構える」ということは、とても重要なキーワードだと思います。

私が救われたもう一つの理由、それは恩師である故國分康孝先生
(前日本教育カウンセラー協会会長)のおかげです。
高校2年生の時に読んでいた本の著者である國分先生に、私は手紙を書きました。
それからご縁があり、大学1年生の時には二人きりで食事をする機会がありました。
当時54歳だった先生は本を何十冊も書かれていて、とても有名な方でした。
私は18歳、とても緊張しながらこう質問しました。
「先生、将来、僕はカウンセラーか教師になりたいのです。
その上で一番大切なことは何ですか?」
先生はおっしゃいました。「カウンセラーも教師も絶えず人と接し続ける仕事だから、
人間関係を楽しんでいないとそのうちしんどくなると思うぞ」と。
それはまさに「リレーションが大事」という答えでした。
偉い先生からそう言われたら「ありがとうございました」とお礼を言って終わってしまうと
思うのですが、私はさらに突っ込んで聞きました。
「では先生、人間関係を楽しんでいる人と楽しめていない人と、一体どこが違うのですか?」
ビールを2杯半ほど飲んで少し赤ら顔の先生はおっしゃいました。
「それはな、一杯も飲んでいなくても軽く一杯入ったような気分で人と接することができる
人だよ」
普段からほろ酔い気分で生きている人が触れ合い上手な人で、そういう人が周りの人の
生きる意欲を支えていく人になれるという意味です。
「軽いほろ酔い」というのは、とても大事なことなんですよ。
実際に、「ほろ酔い気分の人が生きる意欲を支えるって、まんざら嘘でもないな」と
思ったことがあります。
私は関東でスクールカウンセラーを20年以上やっていますが、職員室の雰囲気に
一番大きな影響を与えるのは教頭先生だと思います。
ある中学校の職員室は相当雰囲気が悪く、うつ病の先生も出るほどでした。
実はそこには、いつも腕組みをしてじろーっと周りを見ている陰湿な性格の教頭先生が
いたんですね。
その教頭先生が異動になり、代わりに入ってきたのが、まさに「ほろ酔い気分」の感じの
教頭先生でした。
その先生は、じっと席に座っていることがありません。
いつもふらふらしながら先生たちに声を掛けていくのです。
すると先生たちは、それ以後どんどん元気になり、職員室の雰囲気がすっかり見違えて
明るくなりました。
全ての人間関係はこういうものなのです。
どんな環境でも、触れ合い上手な人が1人いることで、その人がキーパーソンとなって
周りの人の生きる意欲を支えていく。
ですから、1人でも多くの人がリレーションを作っていくことがとても必要だと思います。

まさに、教員をしている私にとって、
職員室の雰囲気を大切にしたいと思っている私にとって、
人と人との関わりを大切にしたいと思う私にとって、
「孤独」ということを考えている私にとって、
「お酒」の好きな私にとって、
「リレーション」「軽いほろ酔い」というキーワードは
勉強になりました。
本校の教頭先生も上手に「明るい雰囲気」を創ってくれています。
感謝ですね!!
親愛なる日中健児のみなさん!
どこの社会に行っても、「結局は、人と人!」です。
自分なりに、少しでも「人と人が関わる!」ということを考えてみてください!
まだ、「軽いほろ酔い」は分からないと思いますが・・・・・・。
がんばれ!!日中健児!!
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