2018/11/19 | 11月19日(月)みやざき中央新聞 | | by 日進中学校管理者 |
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栃木県益子町の西明寺というお寺に「笑い閻魔」がいる。
あの地獄の大王で知られている怖い顔の閻魔様が笑っているのである。
びわ湖湖畔のホテルで行われた禅の合宿でその話を聞いた。
講師は東洋思想家の境野勝悟先生だった。
もしあの世に極楽と地獄があり、死んだらどちらかに行かねばならない運命だとしたら、
どちらに行きたいだろうか。
やっぱり「極楽」だろう。
凄惨な戦場をよく「この世の地獄」と例えるように、あの世の地獄も阿鼻叫喚(あびきょうかん)
の世界のようなイメージがある。
地獄の入り口には閻魔大王がいて、人々は閻魔様に生前犯した様々な悪事を裁かれ、
そして針の山や火の海に送られるのだ。
しかし、小さい頃からそう教えられてきた私たちは、地獄行きを免れるような生き方を
日々しているだろうか。
「極楽なんていうところは一度も嘘をついたことがない真面目一筋に生きた人だけが行ける
ところ。
あなたたちは全員地獄に行くんだよ」と境野先生は話されていた。
そして、仏典の中にある「閻魔経」の話をされた。
ある日、一人の男が閻魔大王の前で「私は生前一度も嘘をついたことがありません」と、
こう訴えた。
だから自分は極楽に行く資格があるというのだ。
閻魔大王は耳を疑い、問い質した。
「一度も嘘をついたことがないとは本当か?」
「はい。私は一度も嘘をついたことはありません」
それを聞いて大王は大声で笑った。
男は怪訝な顔をしてまた言った。
「私は真面目に生きてきたのです。何がおかしいのですか?」と。
大王は笑い転げながら言った。
「おまえ、それじゃつまんない人生だっただろう」。
これが「笑い閻魔」の逸話なのだそうだ。
人生は楽しまなきゃ意味がない。
そのために人に迷惑を掛け過ぎてはいけないが、少しくらい嘘をついたり、
悪事を働いたりしながら、上手に世渡りをしていくところに楽しい人生の妙味がある。
「そのことで地獄に行ったとしても大丈夫」と境野先生は言うのである。
なぜなら地獄には閻魔大王がいるから。
閻魔大王の本当の役割は、地獄に来た人たちの悪いところを治して極楽に送ること
なのだそうだ。
「針の山」とは鍼をさして治療し、「火の海」とはお灸をすえて治療するという例えらしい。
閻魔大王の決意はすごい。
「最後の一人まで救う。それまで自分は地獄を離れない」。
その決意があの怖い形相である。
そして「閻魔大王は地蔵菩薩の化身である」といわれるゆえんである。
誰よりも慈悲深いお方だったのだ。
でも、このことがまかり通ってしまうと、人間は調子に乗ってどんどん悪さをするだろう。
度が過ぎる悪事を働いて家族を不幸にしたり、自分までも不幸にならないように、
いつからか昔の人は「悪いことをすると地獄に堕ち、そこで恐ろしい閻魔様の裁きを受ける」
という部分だけを強調して伝えたに違いない。
その結果、「死」がとてつもなく恐ろしいものになってしまった。
ただ、何かのご縁で仏の教えに触れた人たちだけが、地獄と閻魔様の真実を知って
ホッとする。
「安心して死になさい。地獄には閻魔様がいるから大丈夫。すべてを受け止めてくれる。
死後のことは心配しなくていい」というメッセージである。
要は、「地獄の話も閻魔様の話も方便なんだ」と境野先生。
「一日一日を楽しんで生きるために」と同時に、「安心して死んでいけるために」
その境地を禅の考え方で言うと、「この世にいいも悪いもない」である。
大方、世の中は夫婦関係から国際関係に至るまで「いい・悪い」の価値観を押し付け合って
不幸になっている。
閻魔様の前に行った時、「そんなつまんないことで争って、人生の貴重な時間を費やして
いたのか」と笑われないように、今日から「いい・悪い」を越えていこう。
なかなか、奥の深い話ですね。
誰もが「人生って何だろう?」と考えたことがあると思います。
人間の価値観と神様の価値観は、きっと、違うのでしょうね!
だちらにしても、「人生」生きているうちだけ!
しかも、その命は「一度だけ」です。
自分なりに楽しまないと「幸せ」は来ないのかもしれませんね。
「度が過ぎないこと!」
親愛なる日中健児のみなさん!
まだまだ中学生ですが、この奥の深い「人生」。
暇なときに、少しは考えてみたらどうでしょうか?
よろしく!日中健児!!