日誌


2019/04/22

4月22日(月)みやざき中央新聞

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
 スタートして間もない平成31年度がもう終わろうとしている。
  いよいよ我々は、「平成」から「令和」へ、その境界線をまたぐという歴史的瞬間を皆一緒に経験することになる。
  これは年に一度必ず訪れる「年末」と「新年」の境界線をまたぐのとは訳が違う。新年を迎えるのは「時間の流れ」にすぎないが、改元は「背景の転換」である。なにせ建国から2679年という重厚な歴史のひとコマだ。そこには深い意味がないはずがない。
  かつては大きな災害が起きたり、疫病が蔓延したり、大規模な戦乱が起きたりすると、その不運な気の流れを変えるために元号を改めるということがあったそうだ。天皇一代に一つの元号という「一世一元の制」が導入されたのは明治の世になってからだから、ついこの前のことと言っても過言ではない。
  ある意味、改元は日本国が「衣替えをする」とか「お色直しをする」、そんな意味合いがあるのではないか。
  これは日本人にしか分からない感覚かもしれない。いや、もしかしたら霊性が希薄になった現代の日本人も分からなくなってはいないだろうか。
  たとえば、「令和」と発表があった直後に何人かの有識者がマスコミの取材に応えて、「命令の令の字だ。統制の強化が感じられる」などと、批判的な意見を述べていたが、それはちょっと表層的過ぎる。元号というものは、もっと奥行きのあるものではないかと思う。
  先に述べた「霊性」とは宗教心のようなもので、昔から伝わるお祭りや文化・風習に潜む精神性を重んじる感性のことである。
  愛知県刈谷市で発行されている『きぼう新聞』は、本紙と同様「いい話を広げよう」という趣旨の新聞だ。その最新号に面白い記事が載っていた。
  これまで3万人以上の人の名前に込められた漢字の意味を解析して、その素晴らしさを伝えている「お名前エステティシャン」のあきたまさんが、「令和」という漢字の意味をこう解説していた。
  「令は中国では《リン》と読み、『美しい音』の意味を持ちます。『令』の仲間の『鈴』も《リン》と読み、鈴は神様を呼ぶ道具です。『玲』の王へんは元々は『玉』という字で、それは宝玉が響き合って鳴る美しい音です」と。
  また「令」という字は、「神様のもとに集まった人たちが跪いて、神様のお告げを聞いている形」なのだそうだ。なるほどそこから「命令」という漢字が生まれたのかもしれない。
  つまり「命令」という言葉は、そもそも「力のある者がその権力を振りかざして自分に従わせるために発する言葉」ではなく、読んで字の如く「命(いのち、またはみこと)」の「令」なのである。
  「それは、お上の命令よりもっと高尚な宇宙の真理やら自然の摂理、物事の法則のことだと思います」とあきたまさん。
  そして、「(令和とは)神様の真意を感じて、聞いて、美しく、かつ良い言葉(声)で伝える。そして誰かが決めたことがおかしいと感じたら声を上げ、和に向かって行動するのです」と続ける。
  「令和」の出典は万葉集といわれている。どうして1000年以上も前の文献から探し出してこなければならなかったのか。やはりあの時代の高い霊性を持つ人たちの言葉を、現代の日本国の背景に据える必要があったのではないだろうか。
  近年、人に備わる霊性が希薄になりつつある。葬式を宗教性のない「お別れ会」にしたり、結婚式も「神前」ではなく「人前結婚式」に。お宮参りなどはする意味も分からないとか。成人式は行政主催の恒例行事だったり。そして昔から続いているお祭りや年中行事もいまやイベント化して商業ベースになっていたりと…。
  そんな時代だからこそ思い切った「背景の転換」が必要だったのではないだろうか。天皇の崩御を待たず、日本に世界中の人々が集まり、注目する東京オリンピック開催の、その前に。

何となく「命令」という意味に違和感を持っていましたが、
この文章を読んで「なるほど」と私は納得しました。
「霊性」
人間のレベルではなく、「自然の摂理」「宇宙の真理」を感じさせる「令和」を
みなさんの手で「素晴らしい時代」にしたいと思いました。
思っているだけでは??
商業ベース・・・・・・・・。
そんな考えに振り回されない「教育界」でありたいと思います。
日進市も「新しい市長」に変わりました。
「市議会議員」も多くが変わりました。
新しい「令和」を前向きに捉え、実行に移してほしいし、われわれも移したいと
考えています。
ともに、頑張りましょう!!
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