魂の編集長 水谷謹人 より
数学教師・藤野貴之さんは宮崎市立宮崎西中学校の生徒にお掃除の話をするため、5時間、山口県から車を走らせてきた。道中ワクワクしていたのであっという間の5時間だったそうだ。
冒頭、藤野さんはズボンのポケットから紙くずを取り出した。前泊したホテルで鼻をかんだティッシュペーパーとお茶を飲んだ時に出たティーパックのごみである。
「たったこれだけなので持って帰ろうと思ったんです」と藤野さんは言った。そして「なぜ私がそうしたと思いますか?」と生徒に問いかけた。
もちろんホテルの部屋にはごみ箱があり、ビニール袋がかけてあった。そこに捨ててもよかったのだが、たったこれだけのために清掃員の方はビニールごと捨てるに違いない。それはちょっともったいない気もする。また、ごみ箱に何も入っていないのを確認したら、おそらくそのままにして別の作業をするだろう。
そんなことを考えて藤野さんは「これくらいなら持って帰ろう」と思ったのだ。
「でも一番の理由はそれではない」と言う。
「鍵山秀三郎という私の師匠がきっとそう考え、そうするだろうと思ったからです。私は師匠の真似をしているのです」
22年前、藤野さんは黙々と一人で掃除をやり続けてきた鍵山さんと出会った。「本物の大人だ」と思った。
「掃除に学ぶ会」や「日本を美しくする会」などで全国的にその名が知られる鍵山さんだが、そこに至るまで鍵山さんはひとつの信念のもとに掃除をしてきた。「きれいなところに来ると人はいい気持ちになる。そういうところが増えると社会は良くなる」
昭和28年、二十歳の時、鍵山さんは自動車部品販売店に就職した。社員教育などない時代、礼儀正しい社員もいなければ、店も汚かった。鍵山さんは早朝誰もいない店内やトイレの掃除を始めた。店がきれいになると客層も良くなり、売り上げも上がっていった。
昭和36年に独立して自分の店を持った。自転車の荷台に自動車部品を積んで訪問販売を始めた。行く先々で、店の中に入れてもらえないとか、話しかけても無視されるとか、箒(ほうき)で追い出されるなど屈辱的な応対をされることも少なくなかったが、次第に「こういう人たちはそうすることで自分で自分の心を荒(すさ)ませている」と思えてきた。
そして「こんな人を減らすことが良い社会をつくることになる。神社に行くと敬虔(けいけん)な気持ちになるのは境内にごみ一つ落ちていないからだ。掃除をすることで人の心もきれいになる。掃除なら自分にもできる」と考え、鍵山さんは朝5時に出社して掃除を始めた。
10年経つと一緒に掃除をやる社員が出てきた。20年後には全社員がやるようになった。業績も上がっていった。30年経った頃、鍵山さんの会社「イエローハット」には全国から「掃除を教えてください」と経営者が押し寄せるようになった。そして「日本を美しくする会」が発足し、各地に「掃除に学ぶ会」が次々に誕生していった。
藤野さんは「山口掃除に学ぶ会」のメンバーである。藤野さんは中学生にこう語った。「学校は学問をするところです。学問とは『学ぶこと』と『問うこと』。『学ぶ』の語源は『まねる』。先生や師匠のまねをする。それが『学ぶ』です。ぜひ本物の大人に出会ってください。師匠を見つけてください。それだけで人生が豊かになります」
講演中、ペットボトルを取り出した。「道に落ちていたのでかわいそうだと思って拾った」と言う。そしてこう言った。「このペットボトルを〝自分〟だと思ってください。この子はペットボトルとしてこの世に生まれてきた。だからペットボトルとして命を終わらせてあげたい。分別して捨てれば別の何かに生まれ変わり、また役に立ちます」
西中学校には「自問清掃」という言葉がある。「自分はこれでよいのか、自分に問いかけながら自分で考え自ら進んで行う清掃」である。藤野さんは「その『自分に問いかける力』こそAIが幅をきかす時代に必要な力になる」とエールを贈った。
3日後の日曜日、同校で行われた「宮崎掃除に学ぶ会」のトイレ掃除には、生徒が31人参加し、大人たちと鍵山流の掃除をまねた。人生に大切なことを学んだに違いない。
いつも、鍵山先生の話を聞いていると「清掃」は「人の心をきれいにしてくれる」
場所だけではなく、その人や周りの人たちの「心をきれいに」してくれると
思ってしまいます。
掃除をしなさい!と言うことも教育かもしれませんが??
本物の「掃除をする大人」を見たり、まねたりするのも大切な教育!
なのかもしれません。
私も教員生活37年が過ぎようとしています。
「箒の似合う先生」と言われるのが一番の誉め言葉です。
今日も「ごみを拾い!」「箒を持って!」行動したいと思います。
心の弱い、心の汚い人間だから・・・・・・。
自分に言い聞かせながら!
ともに、頑張りましょう!!