2019/03/08 | 3月8日(金)元プロ野球選手 立浪和義 氏 | | by 日進中学校管理者 |
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「俺を無視するのか!」
私は小学4年生で野球を始め、中学卒業後は二つ年上の桑田真澄さんと清原和博さん
が活躍しているPL学園に進みました。
上級生たちは、全体練習後も自分の課題に取り組む個別の練習をやっていました。
清原さんクラスでも毎日練習していました。
桑田さんは、毎朝5時に起きて隣接するゴルフ場を走り、グラウンドに戻ってくると、
今度は外野の草むしりをしていました。
あれほどのスーパースターであってもひた向きに練習に取り組む姿を目の当たりにして、
私は衝撃を受けました。
その高校時代に一番鍛えられたのが精神力です。
「気持ちでは誰にも負けないぞ」という自信がつきました。
プロに入って1年目は星野仙一監督でした。
監督は、試合中に相手チームの選手と少し言葉を交わすだけでもかなり怒りました。
ところが当時広島カープのキャッチャーは達川光男さんだったのですが、達川さんは
私がバッターボックスに立つと、必ずいろいろ話しかけてくるのです。
星野監督の指示を守ろうと私が黙っていると、「おまえ、俺を無視するのか!」と
怒り出しました。これには参りました。
私の野球人生の宝物
10年くらい経つと、毎試合出るのが普通になりました。
でも、そのことで、どこか惰性的になってしまっている自分がいました。
そんな時、シーズンオフに病院に慰問に行く機会がありました。
ユニフォーム姿で病室に入ると、闘病中の子どもたちがものすごく喜んでくれたんです。
「プロ野球選手というのはこんなにも子どもを喜ばせられる職業なんだな」と、
その時あらためて認識しました。
薬の副作用で髪のない子もいました。
その子が、「元気になったら必ずナゴヤドームに応援に行きます!」と目を輝かせて
言ってくれるんです。
そんな彼らの言葉に涙があふれました。
そして、「もう一度初心に返って頑張ろう」と強く思いました。
励ますために慰問に行ったのに、一番励まされたのは私のほうでした。
思い返せば、節目節目でいろんな方に勇気づけられてきたプロでの生活でした。
37歳の時のシーズンだったと思います。
シーズン途中から特に何の話もなくある日突然レギュラーを外され代打になり、
モヤモヤしている自分がいました。
ところが、試合の場内アナウンスで「代打、立浪」とコールされると、スタンドのお客さんから
物凄い歓声がわき起こりました。
「ファンの方はこんなにも自分に期待してくださっている」と思い、
私はまた勇気付けられました。
「あのファンの大歓声を絶対ムダにしちゃいけない」と思った私は、翌日から一番早く
グラウンドに行き、練習するようになりました。
もし、華々しくレギュラーのまま引退していたら、気付けない部分もあったのではないかな
と思います。
選手生活の最後に「代打」を経験できたこと、コーチを兼任させていただいたことは、
私にとってとても貴重な経験でした。
「励みになる存在」は、大切ですね!!
もう一度、初心に返ろうと!思わせてくれる存在ですかね!!
ともに、頑張りましょう!!