2018/09/19 | 9月19日(水)みやざき中央新聞 | | by 日進中学校管理者 |
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40年間の役者人生の中で、これまで数々の映画に出演してまいりました。
今撮影しているのは映画『みとりし』です。
人が死ぬ時の「看取り」にスポットを当てた映画です。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、日本には「看取り士制度」というものがあります。
その中心で活動していらっしゃるのが一般社団法人日本看取り士会の会長
柴田久美子さんです。
7年前、たまたま私は日本海に浮かぶ小さな島に行きました。
そこで出会ったのが柴田さんでした。
柴田さんはその時「看取り」を実践されていて、すでに20数年前から、
ご自分の家に身寄りがない人たちを集めてケアされていました。
私はこの時初めて「看取り士」という言葉と出合いました。
その考え方に大変感動し、「いつかこの看取り士制度が全国に広がるといいですね」
と話しました。そして今、それを映画という形で実行しているわけです。
今日本で、死ぬ時に誰にも見取られずに亡くなっていく方は年間4万人を超えるそうです。
都会でも田舎でも、1人で住んでいる人たちには孤立死の可能性が大いにあると思います。 看取り士制度は、一言で言うと「死に逝く者と見送る側、両方を幸せにする制度」だ
と思います。
看取り士さんが「もうそろそろ危ないな」と判断すると、家族みんなで死に逝く人の体を
触りながら、その人の思い出話をするんです。
たとえば亡くなるお父さんに対して、息子さんが「昔はすごく厳しかったけど、いろいろ世話
になった。ありがとう」と話しかけてあげる。
身内の方もそれぞれ声をかける。
するとお父さんは、たとえ意識がなかったとしてもとても柔和な顔になられて、
最期を迎えられるそうです。
看取り士さんにお話を伺うと、家族と一緒に最期を迎えられた人は
「ありがとう」と言って亡くなることが多いそうです。
人生の最後にそう言えることはとても素敵なことだと思いませんか。
奥さんに「愛してるよ」と言って亡くなった方もいらっしゃるそうです。
私は小学5年生の時に祖母が亡くなりました。
家の床の間に横になっている祖母のもとにお医者さんがやって来て「ご臨終です」
と言われました。その時親父が「もっと触っておけ」と言っていたのを覚えています。
まだ温もりがある祖母の身体、でも命はない。
「魂の抜けた抜け殻」のような身体に触ることで、幼いながらも不思議な感覚を
感じ取りました。とても貴重な経験でした。
命が生まれる「出産」の場面もそうです。
昭和31年の私の誕生の時、私の姉3人も含め全員自宅の納戸に集まって、
産婆さんが来ての出産に立ち会ったそうです。
そして私が「オギャー」と言った途端、身内のみんなが取り囲んで新しい生命と
触れ合いました。
こうした命の誕生や死ぬ瞬間を身近に感じる体験は、自分の生と死についての意味を
考える機会になります。
だから私は、子どもたちにはできるだけ小さいうちに体験させてあげたいのです。
そういったことまで含めて大事にしようと始まったのがこの「看取り士制度」です。
まだ制度は始まったばかりですし、デリケートな部分もあって受け入れられない人たち
の意見もあります。しかし私たちにとって、死は避けては通れない問題ですよね。
私は20代の頃、「前世療法」という言葉と出合いました。
この療法は、1980年代からアメリカの精神科医や心理学者によって研究され、
一般医療にも取り入れられているとのことでした。
この療法では、たとえば「今この肉体にある私の魂は、過去世(前世)において何度も
いろいろな世界で生まれた」という気付きから始まります。
そして、その人の魂の体験の奥深くにある否定的な感情を探り、それと向き合うことで
その感情を解放していくという療法です。
これにより、医学的な対処ではどうしても取れなかったトラウマまでもが取れていった
のだそうです。
たとえば高所恐怖症で、どんな薬を処方してもどんな治療を行っても「高い所が怖い」
という感情を拭い去ることができない人がいました。
その人に前世療法を行いました。
過去世にスポットを当てながら、「過去の魂は高い所から滑落して亡くなった」という体験
からくる感情を治療によって拭っていくことで、その人は高所恐怖症を克服できたそうです。
同じように、「前世は水難事故で死んだ」という人もいて、この人もその感情を癒やすことで
水への恐怖がなくなったそうです。
「前世」というと、すぐに否定的に思われる方や懐疑的に感じられる方も多いと思います。
でも私は、こういった言葉に対してそれほど否定的には考えていないんです。
なぜかと言うと、その考えを受け入れることで、「死んでもすべて終わりじゃない」と
思えるからです。
そしてさらに「私たちの魂は過去、現世、未来へと繋がっていくもの」と
考えられるようになるからです。
もちろん「前世」に否定的な方々の意見を尊重することも大事なことだと私は思っています。
デリケートな問題だからこそ、いろんな意見をお互いに受け入れながら、
「死を隠さず、みんなで考えていく」という姿勢を大事にしたいと思うのです。
「死」というと私たちはこれまで、暗く、つらく、悲しく、忌み嫌うべきものという印象を
なかなか払拭できませんでした。
ところが「看取り」の場面を体験すると、「死も人間の一つの過程」と捉えられるように
なるのです。
「死」から逃れられない以上、闇雲に恐れたり怖がったりするのではなく、穏やかな気持ち
でみんなで一緒に「人間の過程の一つである死」について考えたい。
私はいつもそう思っているんですね。
私もなぜか、昔から「このような考え方」があります。
「死」を真剣に考えなくて、「生」「生きる」ことを深く考えることは難しいのでは?
生きている以上「生きる意味」を考えたことのある方は多い?ほとんど?全員?
いるのではないでしょうか。
「より良く生きていく」ために、「死」について考えてみるのも!!
「死」は避けて通れないものだから!!
いつもお話ししますが、人間は
「いつ、心臓が止まるか?」分からないし、
「いつ、事故や天災で亡くなるのか?」分からない!
親愛なる日中健児のみなさん!
一度、考えてみましょう!!