魂の編集長 水谷謹人
たまにお寺さんから講演を依頼される。浄土宗、天台宗、曹洞宗といろいろなお寺を訪れた。檀家さんが対象の時は一般向けの講演になるが、ごくまれに僧侶が対象の時がある。厳しい修行を積んだ僧侶に何を語ればいいのか、相当頭と心を悩ませる。
先月は千葉県市川市の日蓮宗布教研修所で、若い僧侶に「目に見えている現象は見えない世界と繋がっている」というテーマで話をした。
宗教ではそんなことは周知のことだが、この視点を世間一般に普及させることで、人生に悩んでいる人が自分に起きる出来事に意味を見出すことができ、随分生きやすくなるのではないかと思う。
そう考えるのは宗教だけの話ではない。礼に始まり礼に終わる武道は精神的な世界を重んじるし、経済発展の背景には人間の欲望や欲求がある。男女の別れは愛情が冷めた結果であり、交通事故は気のゆるみから起きる。
さらに言うと目に見えない世界が先であり原因であり本質である。
「出会い」もそうだろう。どんな「出会い」も、人知を超えた数奇な運命と繋がっている気がする。
札幌在住の山形総(さとし)さん(50)が右手に違和感を感じたのは2013年、大手眼鏡店の店長をしていた時だった。ねじを締めるドライバーを握る右手に力が入らない。その症状が日に日に重くなった。
2016年2月、4件目の病院でやっと病名が判明した。ALS(筋萎縮性側索硬化症・きんいしゅくせいそくさくこうかしょう)だった。症状をネット検索した時、よく画面に出てきていた病名だ。この病気だけは避けたかった。治療法がないからだ。「全身の筋力が無くなり、ただ死を待つのみ」、そんな予備知識を持っていた。だから病名を告げられた時、「俺の人生は終わった」と思った。
甲子園を目指す一人息子、悠人と一緒にその夢を見ることがもうできない。仕事を辞めた後の家族の生活はどうなるのか。一人泣き続ける夜が1週間続いた。
筋力の衰えが手から足へと進行し始めた2017年の秋、両親の前で総さんは言った。「みんなに迷惑をかけたくない。1日も早く死んだほうがいい」
母親は「親の前でそんなことを言うな!」と泣きながら怒った。
その後、総さんは姉の圭子さんのこんな一言で前を向き始めた。「悠人に、病気と闘う父親の姿を見せないのかい!」
総さんは自分にできることを探し始めた。一つだけあった。笑顔だった。「これからは笑顔で生きる」と決めた。
霊能者のような人に頼ったこともあった。その人は総さんに言った。「あなたの仕事は本を書くことです」
その日から総さんはブログ「生命あふるる日々」を書き始めた。
1年後、その人がまた言った。「これから本を売るのに忙しくなりますよ。FMでPRしてもらうといいよ」
さらに1年経った今年の6月、圭子さんは学生時代の友人、緑さんの家にいた。そこで「みやざき」という名前の新聞を見つけた。「なんで北海道で宮崎の新聞を取ってるの?」と聞いた。
緑さんは「今度編集長の講演が札幌であるから一緒に行かない?」と誘ってきた。「社説に弟さんのことが載ったら凄いよね」と、突拍子もないことも言った。
ところが緑さんは講演会を申し込むのを忘れていた。編集部に電話をした時には既に夜の懇親会は定員に達し締め切っていた。「どうしても会いたい」と言うので、急きょランチを一緒にしようという話になった。
その席で圭子さんから総さんの話を聞いた。もし夜の懇親会だったら、とてもそんな話はできなかっただろう。
もう一人、僕を取材したいと、FMアップルの放送局長が同席していた。「FM」と聞いて圭子さんは鳥肌が立った。
そんな不思議なご縁で我々は繋がった。3日後の9月2日、総さんの電子書籍『生命あふるる日々』が出た。
これから総さんの周りは忙しくなる。
「目に見えている現象は見えない世界と繋がっている」
私も、いつのころからか?そう考えるようになりました。
人間の目?たかだか視力1.0くらい。良くても2.0?アフリカの人でせいぜい5.0.
顕微鏡にもなれないし、望遠鏡にもなれない「目」。
人間の「見えてない」は、人間の目に映っていないだけで、そこには「何かある?」
と思っていますし、宇宙を限りなく客観的に考えると、限りなく顕微鏡の世界に近づくし、
不思議なことばかりです。
人間という「小さな生き物」の考え方・見方を全てだと考えてしまう「傲慢さ」に
気づかなければ、「本質」は、一生見ることができないし、感じることも敵わない!
と思っています。
だからこそ、「ビッグバン」の時代から、「全ては一つ」のものから始まっている。
だからこそ、「繋がっているに決まっている!!」
そう考えられるようになると、見える世界が違った世界に見えるかも?
親愛なる日中健児のみなさん!!
「空気」は透明で、何もない?存在ですか?
「心」ってどこにありますか?
「ことばに出さなくても」伝わる?とは、どんな状態の時ですか?