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2019/12/18

12月18日(水)瀬戸内寂聴さん

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
「自分のために怒ってくれる そのことがとても嬉しかった」
瀬戸内寂聴秘書 瀬尾まなほ 氏の講演会より
 私は兵庫県出身です。高校のときは海外留学を経験し、大学も「英語が好きだから」という理由で京都外国語大学に進学しました。
  大学4年生の就職活動の時期になると、周りの友人は「英語を生かして貿易関係の仕事に就きたい」「外資系に就きたい」という明確な目標や夢を語っていました。でも、高校時代に留学の夢を叶えた私は「京都市内で事務の仕事がしたい」という曖昧な未来しか考えられませんでした。
  ですから、就職活動もうまくいかず、試験で落とされるたび次第に自分に対しての自信がなくなり、自分の未来も全く見えなくなってしまいました。
  そんな時、私の高校時代の友人から、「まなほにピッタリなところがあるから受けてみない?」というお誘いがありました。
  「面接先のことは詳しく話せない」と言う友人に「詳しく教えてくれないと、どんな場所か分からないところに面接に行くのは怖い」と詰め寄ると、「口止めされてるから内緒にしてね。瀬戸内寂聴さんのところだよ」と教えてくれました。
  寂聴先生は、当時友人がアルバイトをしていたお茶屋さん(舞妓さんや芸妓さんを呼んで舞を観賞したり、 飲食したりするお店)の常連客でした。そこのおかみさんに「寂庵(じゃくあん・瀬戸内寂聴さんが開いている寺院)に若い子が欲しくて探しているんだけど、誰かいい人いない?」と相談していたそうなのです。
  当時の私は「瀬戸内寂聴って京都にいたの? あの尼さん?」というくらい、先生についてまったく知識がありませんでした。
  でも就職先が決まっていない私はすごく焦りがあったので、「ここに賭けるしかない」という思いで面接を受けることにしました。
  早速、寂庵で先生から面接をしてもらいました。「厳しい質問が来るのかな」と、とても緊張していたのですが、全くそんなことはありませんでした。
  先生は仕事の内容を詳しく説明してくださった後、「彼氏はいるの?」「最近の若い子は何が好きなの?」と、仕事とは全然関係のない話もしてくれました。
  そして面接の最後に「これ、あなたと食べようと思っていたのよね」と言って高級チョコレートを出してくれたこともすごく印象的でした。
  その時はまだ分かりませんでしたが、今ではそれが先生の魅力だと感じています。先生は全く偉ぶらず、上から目線でものを言うこともなく、相手に目線を合わせて話をしてくれるのです。私の緊張も一気にほぐれました。

  私が寂庵に入った時は、自分の母親よりも年上の6人のベテランスタッフが先生についていました。そこに20代の私が急に入ったものですから、先輩方はお茶の出し方や掃除の仕方など、いろいろなことを教えてくださいました。
  先生は、寂庵に編集者の方が来るたびに、「この子は新しく入った子なんだよ。若い子でしょう」と、私を紹介してくれました。出勤したときは、「今日の髪型いいね」「今日の服可愛いね」と、本当に些細なことでも褒めてくれるのです。
  ある時、先生が「まなほ、これやってごらんよ」と私に声を掛けてくれたことがありました。ですが私は「いやいや、私なんかにそんなことできないですよ」と断ってしまいました。
  謙遜や謙虚な気持ちではなく、自分に自信がなかったことで思わず出てしまった言葉でした。
  すると、それを聴いた先生の顔つきが急に変わりました。そして「『私』っていう存在はこの世にたった一人しかいないのに、その自分のことを『私なんか』って粗末に扱う人間は寂庵にはいらないから辞めてちょうだい」と怒られました。
  いつも優しかった先生から初めて厳しい口調で怒られたので、すごく驚きました。
  でも、それと同時に「自分を粗末に扱っていることを、自分のために怒ってくれた」ということが私はとても嬉しかったです。
  それからは「私なんか」という言葉を禁句にしました。そして先生が小さいことでも褒めてくれることもあって、私は少しずつ自信を取り戻していきました。
 
 寂庵に入って2年後、急にベテランスタッフの方々が「私たち、もう辞めさせてもらいます」とおっしゃいました。
  私たちのお給料は、先生の原稿料やテレビの出演料から支払われていたのですが、皆さんには「90歳を超えた先生にそんな負担を掛けていいのだろうか?」という思いがあったそうです。
  先生も「私だってあとわずかなんだから、最後までここにいてよ」と、なんとか思いとどまるように話しました。けれど、「私たちはもう十分よくしていただきました。これからの晩年はゆっくり暮らしてください」「これからは若いまなほちゃんが先生を支えてあげてね」とおっしゃって辞めていかれました。
  私は「一人で先生のことを支えられるのかな」と不安に押しつぶされそうでした。
  でも、父から「寂聴先生はまなほに『完璧』なんて求めてないと思うよ。死ぬわけじゃないんだからやってごらん」と言われたことで気持ちが楽になりました。そして「自分が成長できる機会なのかもしれない」と考えるようになりました。
  しばらくは先生も不安な気持ちや不便に思うことがあったと思います。ですが、ある日「私もやってみる」と言って、今までしたことがなかったお皿洗いや洗濯物畳みなどを私と一緒にやってくれるようになりました。
  先生は「人間っていくつになっても変われるよね。それを私は『革命』だと思う」と言っていました。
  「革命」と聞くと、ものすごく大きなことをしなければいけないような気がするかもしれません。でも、たとえ小さいことでも自分の今までの生活を変えていくことは「革命」なのだなと思いました。
  先生と私はこの出来事を「寂庵・春の革命」と呼んで、今でも時々当時を振り返って話をしています。

いくつになっても「私の中に小さな『革命』」を起こすことのできる人でありたいものです。
人はいくつになっても変われる!!
そして、変わる瞬間はその気になれば「今!」
できない理由を探さない!!
がんばれ!!日中健児!!

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