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2020/02/28

2月28日(金)魂の編集長

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
一休さんはなぜ国民的お坊さんになったのか
魂の編集長 水谷謹人
 「ご高齢なのでこれが最後の講座になるかもしれません」と、送られてきたセミナーのチラシに主催者の方が一筆書き添えていた。
  「これはもう行くしかない」と、東京で開催された境野勝悟(さかいの・かつのり)先生の講座に行った。全国各地から先生のファンが集まっていた。
  先生は古典文学の研究者だ。この日のテーマは「一休さん」だった。
  歴史に名を残した僧侶は数知れないが、「とんち小坊主」として古くからおもしろおかしく語り継がれた僧侶は他にいない。
  「屏風(びょうぶ)の虎退治」とか「このはし渡るべからず」など、子どもの一休さんが将軍や商人をぎゃふんと言わせる逸話は江戸時代からあり、そのすべてが作り話なのだそうだ。
  誰が、何のために、一休さんだけ、その子ども時代の逸話を創作したのか。境野先生の話を聞いて何となく分かった気がした。
  歴史上の僧侶の誰もが言えなかったことを一休さんだけが堂々と言い放っていた。しかもその言葉には重大なメッセージが含まれていた。これを後世に残さなければならないと、江戸時代の研究者は思ったに違いない。
  しかし一休さんが記した『狂雲集(きょううんしゅう)』や『自戒集(じかいしゅう)』という書は、専門の研究者ですら難解なものだった。これでは一休さんの名が庶民に知れ渡ることはないかもしれない。
  そこで誰もが親しみを抱くような逸話を創れば、一休さんの名は後世に語り継がれるのではないかと考えたのだ。
  さて、一休さんだけが言い放ったすごいメッセージとは何か。
  一休さんはこんな詩歌を残している。
 「一代蔵経は皆人間を痛めんがためなり あら憎(にく)の釈迦どのや いろいろの嘘をついておいて」
  この世にあるお経はすべて人間を困らせるものだ。本当にお釈迦様という人は憎たらしい嘘ばかりついている、という意味なのだそうだ。
  それからこんな詩歌もある。
 「釈迦といういたずらものが世にいでて おおくの人をまよわするかな」
  お釈迦様という人は世を惑わすとんでもない男だ、という意味である。
  一休さんは室町時代の臨済宗の禅僧だが、後にも先にも仏教の開祖であるお釈迦様を嘘つき呼ばわりした僧侶はいない。
  例えば、「阿弥陀経」というお経には「極楽浄土は西方(せいほう)十万億仏土(ぶつど)の先にある」と書かれている。
  今の時代、「一仏土」を「一光年」と仮定して、実際に「十万億光年」という距離を計算した人がネット上にいるが、一休さんは、「そんな物理的な距離の彼方に浄土があるんじゃない。皆さん方一人ひとりの中に浄土はあるんだ」と言うのである。ちなみに「浄土」とは仏教界の理想郷のこと。

 我々が寝ている時も、ろくでもないことを考えている時も、我々の50億個の細胞はこの体を生かそうと働いている。あなたの目にはものを見る力があり、あなたの耳には誰かの声を聞く力があり、あなたの鼻には匂いを嗅ぐ力があり、あなたの胃には食べたものを消化する力がある。その生命力そのものが浄土なんだ。自分の中の生命力の素晴らしさに気付きもせずに、何を悩み、どこに幸せを探しているんだ。あなたが生まれた時からあなたの中に浄土はある―。
  そんなことを88歳の境野先生の口を通して一休さんが訴えているようにも思えた。
  「悟る」という字の部首は「心」を表すが、「心」は古代では「心臓」、すなわち命そのものを意味していた。まさに「悟る」とは「吾=自分」の「命」という字なのである
  「無量寿経(むりょうじゅきょう)」というお経には、死の直前、阿弥陀様がお迎えに来るという記述がある。 
 一休さんは「それも嘘だ」と言い放つ。「阿弥陀様はあなたの中にいるんだから」と。
 だから境野先生は言う。
  「あなたが阿弥陀様なんです。だから今日から『どうせ私なんて』という劣等感は捨てなさい。だからといって威張る必要もない。みんな同じ命なのだから」。
  さらにこう言って一休さんの言葉の真意に思いを馳せた。
  「仏教では『嘘も方便』といって、人を幸せにする嘘はついていいんです。一休さんから嘘つき呼ばわりされてお釈迦様もさぞかし微笑(ほほえ)んでいることでしょう」

一休さんみたいな人が「一人」はいないと、救われない人も出てきてしまいます。
世の中には「0%」も「100%」もありません。
全員がすべての人が、一つのことを「信じて」しまうことのほうが??
嘘のような気がします。
世の中、「なにがあってもいいのです!」
どんな嘘も、ある人には真実なのかもしれません。
また、どんな真実も、ある人には嘘なのかもしれません。
だから、人間は面白いし、いろいろいて楽しいのです。
あなたが「良くて」わたしが「悪い」???
わたしが「良くて」あなたが「悪い」???
その時々で「ころころ」変わることばかり。
「価値観」「基準」などは、「ころころ」変わるものなのですね。
だから、違うように見えても人間は「みんな一緒!!」
変な劣等感を持たず、傲慢な自信も持たず、そのままの自分を肯定して
生きていきましょう!といつも思っています。
みなさんは、どうでしょうか?

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