メニュー

西小学校東小学校北小学校南小学校相野山小学校香久山小学校梨の木小学校赤池小学校竹の山小学校日進中学校「日中健児のつぶやき」
学校の概要周辺地図年間・月間予定表交通安全学校からの文書学校からの各種おたよりR2 部活動方針部活動だよりリンクリストPTA活動日中健児のつぶやき(H30)日中健児のつぶやき(R1)日中健児のつぶやき(R2)
日進西中学校日進東中学校日進北中学校作品募集のお知らせ

日誌


2018/10/12

10月12日(金)生きる胆力

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
恥ずかしいことに、私は今まで父から戦争の話を聞いたことがありませんでした。
だから、父がどんな戦争体験をしたか想いをはせることすらしなかったのです。
子どもの頃から、戦争の話は姿勢を正し最大限の敬意を払って拝聴するものだと
決まっていました。
ぶしつけな質問や聞き返しが許される雰囲気は皆無です。
でも、父なら違う話を聴かせてくれるんじゃないかと思って、畏まらずにばんばん聞いて
みたんです。その時、こんな話を聞くことができました。

東京大空襲の折、小学生だった父は疎開先の沼津の借家にいました。
しかし、そうこうしているうちに沼津でも空襲が始まり、家からやっと届いた荷物を
荷ほどきしようとしたところに焼夷弾が落ちてきたそうです。
空襲から逃げて逃げて、ようやく落ち着いたので沼津の家に戻ってみたら、
家はまるごと焼けていて、極めつきに庭に植えていたナスまでがこんがり焼けていた
といいます。
「でね、せっかくだからね、家族で食べたの。焼きナスを」
疎開先も実家も焼けてなくなってしまった。
しかし、今日も明日も生きていかなければならない。
だから焼夷弾に焼かれたナスを家族で食べる。
私だったら二度とナスを見たくなくなりますが、焼きナスはむしろ父の好物なんですよ。
「生きる強さがまるで違うなぁ」と思いました。
父は笑いながら話をしていました。
「つらいことは笑い飛ばすのが一番」。
私もそうやって生きてきましたが、ここまでの胆力はありませんね。

3・11の東日本大震災の時、「放射能が風に乗ってくる」というデマが流れたり、
恐ろしい話ばかりが広まり、私の周囲は結構殺伐としていました。
あの時の私は本当にうろたえていました。
「どうしよう、東京にはもういられないんじゃないの。ほかのところに引っ越さないと
いけないんじゃないかな」というような相談を父親にすると、「家があるならなんとか
なるでしょ。大丈夫だよ」と言われたんです。
もうカーッときて、「こんなに心配しているのに、何でそんなにのらりくらりしていられるのよ。
今がどういう状況か分かってるの? なぜ私の気持ちが分からないの!」と思っていました。
でも蓋を開けてみると、目の前で家が焼けてしまったのを2回も経験している人からしたら、
「家が焼けてないだけマシ」と思うわけですね。
「何で父はこういうことを言うんだ」
「何で彼はこう思っているんだ」という私のいらだちは、
単にこれまで父とのコミュニケーションが足りていなかっただけだったというのが
分かりました。これは本当に収穫でした。

「生きる胆力」
それぞれの人が、それぞれの「生育暦」があり、「人生」を歩んでいます。
その経験・体験から培われた「胆力」は、誰にも真似できるものではありません。
だから、「生きる胆力」は違っていて当然なのです。
しかし、真似することはできなくても「近づくこと」はできるのでは?と考えています。
できれば、経験・体験に裏打ちされた胆力を養っていきたいものですが、
人間には限界があります。
だからこそ、人から話を聞いたり本を読んだりして補い「生きる胆力」を
養っていきたいものです。
もしもの時でも「動じない!」
経験していないから?体験していないから?「不安」が・・・・・・。
できる限り「近づきたい!」ものですね!
よろしく!日中健児!!
07:42 | 投票する | 投票数(15) | コメント(0)