メニュー

西小学校東小学校北小学校南小学校相野山小学校香久山小学校梨の木小学校赤池小学校竹の山小学校日進中学校「日中健児のつぶやき」
学校の概要周辺地図年間・月間予定表交通安全学校からの文書学校からの各種おたよりR2 部活動方針部活動だよりリンクリストPTA活動日中健児のつぶやき(H30)日中健児のつぶやき(R1)日中健児のつぶやき(R2)
日進西中学校日進東中学校日進北中学校作品募集のお知らせ

日誌


2019/09/18

9月18日(水)同じだ!!

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
書道家 武田双雲 に話です。
私も同じようなタイプなので紹介します。
 
 僕は25歳の時から書道家として活動しています。
  母親が武田双葉(そうよう)という名前で書道家をやっていますし、僕自身も小さい頃から書道は大好きでした。でも、僕は当初理系の大学に行き、コンピュータの分野を専攻したのちNTTという電話会社に就職してITの推進事業に取り組んでいました。
  結局2年半でサラリーマン生活に終止符を打ち、独立してこの道を進むことにはなりましたが、そうなるまでまさか自分が書道家としてやっていくなんて考えたこともありませんでした。
 
こうして講演などで人前に立つとよく、「双雲さん、びっくりするほど明るいですね、ポジティブですよね」と言われます。
  でも、これでも抑えているぐらいなのです。「もう44歳で子どもも3人いるし、年相応に振舞わないとな」とは思うのですが、何につけても子どもみたいにワクワクしてしまいます。
 今、発達障害という特性がだいぶ世の中に知られてきましたが、僕はそれで言うとADHDに該当します。学校なんかでいつもそわそわしていたり、座っていられないくらい落ち着きのない子、いませんでしたか? 僕はまさにそんな子でした。
  今思うと血筋だったのか、家族全員落ち着きがなかったです。小さい頃からひたすら明るい子でしたけど、しょっちゅう突拍子もないことをやって周囲を戸惑わせたこともあるし、子どもながらに「人生って難しいな」と思うこともありました。
1-1takedasouun.jpg 
ADHDの特徴として示される衝動性や多動性は、時としてそうした生きづらさに繋がることもあります。でも、「あらゆることに好奇心旺盛で熱中できる」という特性は、僕のようなアーティストにとってみれば最高の宝物でした。
  今回はまず、そんな僕が書道家になる前にやっちゃった「だめだめ事件」からお話しします。
  僕が初めてアルバイトに挑戦したのは18歳、大学1年の時のことです。友達に「大智(※本名)、1万円ぐらいもらえるいいバイトがあるぞ」と、年賀状を仕分けるアルバイトに誘われました。
  僕は小さい頃から書道が大好きでしたから、人の字を見るのも当然大好きでした。だからいろんな人の字が見られる年賀状の仕分けなんて、まさに「天国だ!」と思って二つ返事でやることにしたのです。
  当日はりきって作業場に行くと、自分が担当する年賀状の山をドサッと目の前に積まれました。隣では先輩がものすごいスピードで仕事に取り掛かっていました。「江東区、港区、はいはいはい」って。
  見よう見まねで僕も作業に取り掛かったのですが、いろんな人の字を見られるもんだから、もう楽しくてしょうがないわけです。
  最初の一枚、今でも覚えています。宛名欄を見た瞬間、僕のテンションがものすごく上がりました。
  なぜか? 住所として書かれていた東京都の「東」という字、その左払いが長すぎて真ん中の宛名「井上〇〇様」の「井」の中央に思いっきり突き刺さっていたのです。
souunimage1.jpg(イメージ図)
 僕は小さいころから書道家の母ちゃんに字を教わってきましたが、こんなのびのびした「東」は今まで見たことがありませんでした。だからもう大興奮です。
  「先輩、先輩! これ突き刺さってる!」とやにわに隣で作業をしている先輩に見せようとしましたが、「シーッ、静かに作業しろ!」と怒られてしまいました。

  「あーあ、このハガキ取っておいて持って帰りたいなぁ」なんて思いながら2枚目のハガキを見たら、これまたすごかったです。
  皆さん、宛名を書くときは「〇〇様」と、最後に「様」をつけますよね。僕はこの「様」の最後の部分をどう書くか、ずっと母ちゃんに鍛えられてきました。
  点をそれぞれ繋げて書くか、離して書くか。さらに角度はどうするかってレベルで気を付けて書くよう教え込まれていたわけです。
  でも僕が見た「様」はこう。(イメージ図)

souunimage2.jpg
 もう「暴れ龍」のようでした。さっき叱られたことももう忘れて、僕のテンションがまた上がります。
  「先輩! この『様』も見てくださいよ、すごい!」
  「シーッ! シーッ!」
  作業の間、ずっとこんな調子でした。見たこともない独創的な書き方の字が山ほどあってめちゃくちゃ楽しかったんですが、一枚一枚こんなふうにはしゃいでいてはまるで仕事になりませんよね。
  結局「頼む、もう帰ってくれ」と言われ、僕は初めてのアルバイトを30分もしないうちにクビになってしまいました(笑)。
  人生の各段階で、僕はこんなことをいっぱいやらかしながら育ちました。でもいろいろな人の手助けがあって、今はこうして日本中、世界中で仕事をしています。
  もっと言うと、書道家になった僕の背景には、僕をひたすら全肯定で育ててくれた父ちゃんと母ちゃんの存在がありました。

私も、武田双雲先生が興奮するような「文字」をよく書きます!
きっと、武田双雲先生と「赤い糸」で繋がっているのかも?
がんばれ!!武田先生!!
10:50 | 投票する | 投票数(9) | コメント(0)