2018/10/02 | 10月2日(火)心を洗う実践哲学 |  | by 日進中学校管理者 |
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本日のタイトルは「心を洗う実践哲学としての断捨離」です。
まず、「心」。形がないですね。
だけど「洗う」というのは具体的な行動です。
そして、「実践」というのは日常ですることですね。
「哲学」はどうですか。
日常とかけ離れた意識の世界ですね。
「心」、「哲学」というのが抽象的な概念だとしたら、
「洗う」、「実践」というのは具体的な行動になります。
この抽象的な概念と具体的な行動を同時進行でやっていくのが断捨離です。
断捨離というのは元々「断つ、捨てる、離れる」というものです。
これらは全て引き算です。
断捨離は引き算の視点に基づいた思考であり、その思考に基づいて行動するものです。
●断捨離の実践●
女性は「今日は何を着ていこうかしら」とよく悩みますよね。
ところが、洋服はあるわけです。
物理的にあるけれど、心の中にはないということです。
だから「着る服がないわ」と、お出掛けの度に嘆きます。
でも、身の回りを見ると現実に洋服は存在する。
心の中と、住まいという空間が、必ずしも一致していない、乖離している。
言葉では何とでも言えるし、自分の中でどんな意識も持つことはできるけれど、
それと自分の行動が一致していないことがあります。
たくさんクローゼットの中に洋服が掛かっているにもかかわらず、
着たい服がないと思っている。
では、そこにある洋服は何だろう?
それが執着の証拠品なのです。
「また着るかもしれない」
「痩せたら着られるぞ」とかいろいろ思って、
取っておくことは自分の執着心が原因です。
その執着を形にしたものがクローゼットの中に詰め込んだままの
「まったく出番のない洋服」です。
言葉でいくらでもごまかすことができるけれど、身の回りを見ると、
「自分の心の中の問題は必ず現実の物や空間に現れる」ということです。
心の執着を「断つ、捨てる、離れる」という引き算を、クローゼットの中の自分の執着の
証拠品で実践していくのが断捨離です。
それが「心を洗う」ということなのです。
心もやはり日々の暮らしの中でホコリがたまり、垢がたまり、濁ったりします。
日常の生活空間にある、執着だけが張り付いた不要な物を取り除くということで
きれいにできるのではないか、というのが私の気付きです。
●心と空間の余地●
皆さん、現在のお家、どんな状態ですか。きれいにしていますか?
余計なモノたちが、必要のなくなったモノたちが溜まっていませんか?
「全部きれいにするのは面倒臭い」が重なると「諦め」になります。
では、「諦め」が重なると次はどうなりますか。
諦めても、モノは入ってきて、出ていかない状態です。
「諦め」が心の中に積み上がっていきます。
そしたら心の状態は「絶望」になります。
最初に「片づけるって面倒臭いな、モノを減らしていくって面倒臭いな」と思ったのが、
「諦め」になり、やがて「絶望」になります。
心の中が絶望という不要・不適・不快なものでいっぱいになってしまう。
断捨離はそれを一つでも取り除いて、心の空間に余地を作ろうとしているのです。
現実の空間に余地を生まれさせて、心にも余地を作っていこうという具体的な行動です。
よく「考える余地がない」と言うでしょう。
「もういっぱいいっぱいで考える余地がありません」と。
それは心に使っているけれど、空間にも使います。
空間に余地がない。
それはすなわち心の余地がなくなったということです。
その心にいろんなことを考え、感じる余地を生み出すため、
断捨離は空間にある余計なモノを引き算していきます。
●断捨離の「空間」●
では、空間について考えていきましょう。
まず、住空間です。住空間である家にいるお一人おひとりの体も実は空間なのです。
体という空間の中には命が入っています。
ただのモノが入っているわけではありません。
心臓も骨もモノかもしれないけれど、生きているわけだから命が入っています。
命の中には心があります。
断捨離は心を「入れ物」と理解します。心という入れ物には気持ちが入っています。気持ちが入っているのが心。心が入っているのが命。命が入っているのが体。そして、体が入っているのが住空間。実は空間として考えていくとひとつなのです。
その空間を洗っていく、つまり空間をきれいにしていくことが結果的に体もきれいになるし、
心も洗えるのではないかと考えます。
住まいがすっきりすれば、気分もすっきりしますよね。
同じように住まいの風通しがよくなると、あなたの心の風通しもよくなります。
「心を洗う」ためには、自分の住まいなどいろいろな空間をすっきりさせることが大事です。
私もこのような実践哲学はありませんが、「不要なものは、すぐに捨てます!」
「心を洗う」という考え方も大好きです。
目に見えるものは実感しやすいのですが、
どうしても、目に見えないものは・・・・・・・
しかし、それが大切ですし、きっと、繋がっているのでしょうね!
宇宙は「点(ビッグバン)」から始まりましたが、
宇宙はその中身が「宇宙全体に広がっているだけ」と考えれば、
納得できるのかもしれません。
心を洗う!
良い言葉ですね。