2019/04/16 | 4月16日(火)みやざき中央新聞より | | by 日進中学校管理者 |
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静岡県の内山ほの栞(か)さんはこの春、中学校を卒業した。
4月からは少し不自由な足で高校へ通う。
「この足で生まれていなければ…」
ずっとそう思って生きてきた。
どうして私がこんな目に遭うのかと運命を憎んだ。
中学1年の時の長縄跳び大会が一層その気持ちを強くした。
全く跳べない訳ではない。
ただ、「自分がチームにいたら記録が伸びない」と思い、自ら参加を辞退した。
みんなが長縄を跳ぶ練習を見守っていたほの栞さん。
連続回数が更新されるごとに歓声が上がった。
その輪の中にいないのが淋しかった。
もう一人の自分の声が聞こえた。
「参加したいと言うことはできたのに、足のせいにして参加しないと決めたのは
自分ではないか」
それでもやはり足が憎かった。
マラソン大会では、スタートラインは一緒でも友人たちはどんどん遠ざかっていく。
みんなの背中がうらやましかった。
かわいい靴も履けなかった。
ますます自分の足を嫌いになった。
中学3年になると、これまで以上に足のことを考える時間が増えた。
ある日また考えていたら、ふと心の奥からこんな声が聞こえてきた。
「この足で良いことはなかったの?」
そこで初めて気付いた。
「何かができないで苦しんでいる人の気持ちが分かるのはこの足のお陰なんじゃないか」
「乗り越えようと頑張っている人を誰よりも応援できる気持ちになれるのは
この足のお陰なんじゃないか」
「いつの間にか少し強い心になっているのはこの足のお陰なんじゃないか」と。
この足も含めて自分なのだ。
この足を嫌うことは自分を嫌うことになる。
そう思うと、ほの栞さんは少しずつ自分の足を好きになり始めた。
「変えられない運命を受け止めよう。この足で生まれてきたことには大きな意味があるのだ」
と自然に思えるようになったという。
ほの栞さんはその思いを作文に綴り、昨年の「わたしの主張・静岡大会」で最優秀賞に
輝いた。
今後、社会人へと成長していくほの栞さんの人生にまた荒波が押し寄せることもあるだろう。
でも彼女はきっとそれを乗り越える力を身に付けたのではないだろうか。
2年前、本紙で宮城県女川町の佐藤敏郎先生の国語の授業を紹介したことがある。
震災後に、生徒に書かせた五七五だ。
「見たことない 女川町を 受け止める」
生まれてからずっと自分を見守り続けてくれた女川町の街並みと自然。
悪夢のような光景が目の前にある。その現実をしっかりと受け止め、
前へ進もうとする中学生の思いが伝わってくる。
家族を亡くした生徒はこう書いた。
「青い空 見守っていてね いつまでも」
その生徒の五七五は、それから8か月後にはこう変化した。
「青い空 こっちは元気で やってるよ」
主人公が「空の向こうの家族」から「地に立つ自分」に移っている。
8か月の間に彼は受け入れたくない現実を受け止め、一歩前へ進んだのだ。
気に添わないことが起こっただけで「最悪!」と口走る人がいる。
だがそれは「最も悪いこと」ではないはずだ。
まずは起こった現象をただ受け止め、流す癖が付くと、
本当に「最悪」の事態が起きても動じない心が作られるのではないか。
何があってもとりあえず受け止めよう。
もちろんすぐには受け止められないこともある。
それまでに時間がかかることもある。
でも「受け止めよう」とするその心が、小さくとも明るい光を見つけるはずだ。
だから、「受け止める力」を持つと、人は強く優しくなれるのかもしれない。
「受け止める力」
「受け入れる力」
一つの出来事を「どう?」感じるのか?
一生かかっても、なかなか、難しいことかもしれませんが、
身に付けたいことの一つです。
がんばれ!!日中健児!!