「百年先を見据えて今をどう生きるか」、そんな趣旨で始まった「百年塾」。
長野県では「善光寺百年塾」、
東京では「お江戸百年塾」、
福岡では「九州寺子屋百年塾」といった具合に、全国10か所以上で開催されている。
塾長は「人とホスピタリティ研究所」所長の高野登さんなのだが、高野さんがつくった
というより、それぞれの地域の有志が「百年塾」の趣旨に賛同して立ち上げ、
高野さんを塾長にお招きして、それぞれ独自の勉強会を開催している。
だから地域によって「塾生」の年齢層や職種も多様で、学ぶテーマも違う。
ちなみに「九州寺子屋百年塾」は経営者を対象にした学びとコミュニケーションの場
になっている。
高野さんはまだ60代前半だが、ある日、人生の最終目標を語っていた。
それがなんと時代に逆行するものだったが、実に魅力的なものだった。
「110歳過労死」である。
「あちこちから声が掛かり、いつも忙しくしていて、つい無理をし、志半ばで倒れる。
高野登、享年110」というイメージだろうか。
いくつになっても誰かのお役に立っていることは嬉しいものである。
しかし、高齢になり体もあちこち弱ってくると、健康を第一に考えて無理をしなくなる。
家族も、少しでも長生きしてもらおうと、無理をしないように注意をするし、
させないように心掛ける。
しかし、丸山敏雄著『万人幸福の栞』という著書の中にこんな話がある。
その人は船乗りだった。
晩年、病気になって床に伏していた。
ある日、彼は家族にこう言うのだ。
「俺は船乗りだった。畳の上で死ぬのではない。船の上で死のう。
俺をかついで船に乗せてくれ」と。
そして船に乗せてもらったら病気が治ったという話である。
なにはともあれ最後の最後までいのちを燃やし続けるという生き方は魅力的だ。
ただ、現実はそう簡単ではない。
病気になると気持ちまでしぼんでしまう。
やはり「健康第一」なのは間違いない。
今月86歳を迎える作家の五木寛之さんは、「人生100年時代に備えるためには、
人生のどこかで切り替えが必要だ」と、著書『人生百年時代の「こころ」と「体」の整え方』
(PHP)の中で述べている。
「どんなに健康な人でも加齢と共に心身の不調はやってくる。
だったら不調を感じる前に心身を整えることに意識を切り替えよう」と五木さんは考えた。
人生を前半と後半に分け、後半は全く違った生き方をしようと思ったのだ。
「登山と下山にたとえると、事故や怪我が多いのは圧倒的に下山の時です。
下山は登山と全く違うものだということに気づかなくてはいけません」と五木さん。
「人生100年時代」では、長生きは無条件で喜ばしいことではなくなるという。
70歳の人はあと30年、80歳の人はあと20年もある。
その時代にどう備えるかが問われるからだ。
健康な心身だけでなく、経済力も必要だし、家族以外の支え合える人間関係も不可欠だ。
「不安に思う」人のほうが多くなるのではないか。
だからターニングポイントをつくる。
五木さんはそれを「60歳」にした。
それまで習慣的にやっていた酒やタバコなどの嗜好品をやめ、
人間関係や住む場所も見直した。
「あと40年もあるのだから同じことをする必要はない」と、
著書の中で独自の養生法を展開している。
これから「敬老の日」は、お年寄りを敬うだけの日にとどまらず、
「未来を見据えて今をどう生きるか」を考える日にしたらどうだろう。
お年寄りに「無理をしないで」などと言っていると、船乗りを畳の上で死なせることになる。
無理をしてもしなくても人はやがて逝く。
ならば高齢者はなおさら無理をして、いのちを燃やそう。
先日の敬老の日、岐阜県に住む93歳の義母が、地元の敬老会には参加せず、
「冥土の土産に海が見たい」と言って、無理をして宮崎にやってきた。
あっぱれ!
私の父親は「85歳」です。
健康第1で生活しています。
最近は、病院に行って「数値が・・・・・」と言われ、薬を飲むようになりました。
近代医学に騙されて???????
しかし、それも、その人の生き方?なのかもしれません。
自分の親が生きているだけでも、幸せですね!!