社会心理学関係の本を多数出している「加藤諦三 氏」の記事が載っていました。
私は、この人の本が好きで「多数」読んでいます。
紹介をします。
「自分を嫌う」というと、「自己嫌悪」という言葉を思い浮かべる人もいるかと思います。
今日のテーマ『自分を嫌うな』とは「自己嫌悪」とはちょっと違います。
「自己嫌悪」は、どちらかと言うと自分がやったことに対して「嫌だな」と気が付いています。
「なんで私はこんなことを考えるんだろう。こんなことを考える自分は嫌だな」とか。
それはその時だけのことでしばらくすると忘れます。
自分のことが嫌いな人というのは、実はそのことに気が付いていないことが多いです。
意識の上では「自分はすごい」と自分を高く評価しているのに、心の底の無意識の部分
では自分のことが嫌いで、自分はどうしようもない人間だと思っている。
この意識と無意識の矛盾で神経症(ノイローゼ)になるんです。
そういう人には「自分が他人にどう思われているか」が重要な問題なのです。
デヴィット・シーベリーというアメリカの精神科医は、1万人を超える全米の神経症の患者
の話を聞いて、彼らに共通性があることに気付きました。
それは、「『私はそういう人間ではありません』『私はこういう人間です』ということを
はっきり言えない」ということでした。
つまり、自分のことが嫌いな人は、絶えず他人が期待する自分にならなければならない
と思っているんです。
「親戚の◯◯ちゃんはできるのになぜあなたはできないの?」とか
「お兄ちゃんはあんなに成績がいいのになぜあなたは・・・」というようなことを
言われてきた人は、自分を好きになるなんて無理ですよね。
これは期待するほうが間違っています。
シーベリーは言いました。
「白鳥がいい声で鳴くことを期待するのは、期待するほうが間違っている。
いい声が聞きたければ小夜啼鳥に期待しなさい」と。
つまり、親が子にする期待には、正しい期待と間違った期待がある。
白鳥がいい声で鳴くことを期待され、必死になっていい声で鳴こうと思った時、
悩み始める。
それが自己蔑視の始まりです。
間違った期待に自分を合わせようとしている人は楽しい人生を送れるはずはありません。
小川のメダカが海のサメと張り合っているようなものです。
メダカは小川で泳ぐのが一番楽しいのです。
不幸な人は不幸な人と結びつく!!
そのシーベリーの「白鳥と小夜啼鳥」の話を聞いた時、
僕は「ウサギとカメ」の話を思い出しました。
小さい頃、僕は「何でウサギとカメが競争しなきゃいけないのかな」と思いました。
片方は水の中、片方は野原で生活しているわけですからね。
そもそもなぜウサギは「もしもしカメよ、カメさんよ」とカメに声を掛ける必要があったんですか。
仲間と上手くやっていれば、わざわざ足の遅いカメに声を掛ける必要はないと思うんです。
つまりウサギは仲間と上手くやれていなかったのではないか。
そして自分のことが嫌いだったのではないか。
だから競争する必要のない、勝てると分かっているカメに声を掛けたのではないか?
と思うのです。
一方、声を掛けられたカメも「私は水の中で生きるカメです。
野原を駆けるウサギじゃありません」と言えばいいのに、
「何をおっしゃるウサギさん」とウサギのペースに乗っています。
おそらくカメも自分のことが嫌いだったのです。
あの物語は、自分のことが嫌いなウサギとカメが競ったり張り合ったりしているように
僕には読めるんですね。
現実にも、自分のことが嫌いな人同士が結びつくことはよくあります。
不幸な人は不幸な人と結びつくんです。
一つ、例を挙げます。
アルコール依存症の夫と離婚した奥さんがいます。
だいたいこういう奥さんは「もうアルコール依存症の人と一緒に生きるのは嫌だ。
一生一人でいい」と言います。
でも、時が経てば恋愛もし、再婚もするでしょう。
その再婚相手の半分がアルコール依存症なんです。
実は、そういう奥さんは小さい頃から家庭の中で間違ったメッセージを受けてきています。
だからアルコール依存症の男と一緒にいるほうが自分が楽なんです。
「自分はこういう人間なんだ」ということに気が付かない限り、
また同じことを繰り返してしまいます。
シーベリーは言っています。
「自分に与えられた否定的なメッセージに気付くことが治療の始まりです」と・・・・。
それぞれの運命に気が付くことが大事!!
まず自分が育った環境は、その人の「運命」です。
たとえば、「両親の仲が良く、夕食はいつも笑いが絶えなかった」という人もいれば、
「両親の仲が悪くて、家庭内に暴力もあった。母親の泣き声を聞くのがつらくて、
小さい頃から押し入れの中で耳を塞いでいた」という人もいるでしょう。
また、「あなたの元気な姿が私の心の支え」と言われながら成長する人もいれば、
「あんたを産むつもりじゃなかった」と言われながら成長する人もいます。
望まれている存在と望まれていない存在、
生まれてきたらそういう家庭だったということですから、それも「運命」です。
人は生まれてからいろいろなメッセージを聞いて成長しますが、
「自分のことが嫌いな人」は、否定的なメッセージをたくさん聞いてきています。
つまり、「自分はこの運命の下で生まれ、この環境で育ってきたからこういう人間なんだ!」
ということに気が付かなきゃ治療はできません。
だから、「そうか、自分は間違った期待を与えられて来たんだ。」
「それに合わせようとしていたんだ・・・・・」
「私はこういう家庭で育ち、間違ったメッセージを受けてきたから自分はこういう人間なんだ」
ということに気が付かない限り、未来は拓けないんですね。
人は、対人関係で「悩み」ますが、実は「自分自身に、その根っこがあったんだ!」
と気づかされたのが大学時代に出会った「加藤諦三氏」の本でした。
それ以来、加藤氏の本を読みあさった?ことを思いまします。
心理学との出逢い!加藤氏との出逢い!
私にとっては「大切な出逢いの一つ」ですね!
ぜひ、一度読んでみては如何でしょうか!?