緩和ケア萬田診療所院長 萬田緑平 の話です。
「どうして亡くなる時、患者さんはこんなに苦しまなければならないんだろう」
僕は医者になってからずっとそう考えてきました。
医者は、できるだけ治療をして長く生かそうとします。でも、患者さんは生きれば生きるほどつらくなっていきます。そんな現場を僕はこれまで何度も見てきました。
人というのは、死が間近になってくるとだんだん元気がなくなっていき、食事の量が減ってきて、歩けなくなっていきます。そして寝てばかりで水も飲まなくなります。そしてとうとう目が覚めなくなり、呼吸が弱くなり、最後に心臓が止まるのです。
しかし、家族はできるだけ長生きして欲しいから、本人にいろいろな要求をするんです。「たばこは吸っちゃだめ、酒もだめ、病院にいなきゃだめ、もっと頑張んなきゃだめ」と。
でも、人は刻一刻と弱っていきます。確実に老化は進んでいくんです。「酒やたばこを我慢して医療に頼り続けていれば、いつまでも元気でいられる」なんてことはありません。
本人が「頑張って少しでも長く生きたい」という意思をもっているのであれば、もちろん応援してあげてほしいです。だけど、無理に頑張らされるのは、つらいことではないでしょうか。
それに、「だめ、だめ」と言われるよりも「いいよ、いいよ」と言ってもらえるほうが、本人は「こんなに幸せならもっと生きたい」と思ってくれるはずです。
亡くなるときというのは人生の最終章です。本人はきっと、一番ハッピーな場面のシナリオを思い描くはずです。
でも家族はややもすると、このハッピーエンドのシナリオを亡くなる間際に本人から取り上げ、そして1分1秒でも長生きさせる「死なないシナリオ」に変えようとするんです。
そうやって、どんなに頑張らせようとしても、それは必ず「失敗」に終わります。そして、それにとらわれていると、どれだけ本人が頑張って生きても家族が満足することはありません。
本人が頑張っていても、家族は「もっと頑張れ」と言います。そして亡くなると、医者から「残念でした」と言われて終わります。
これが、家族と医者が勝手に書いた、人生の最後を「失敗」に終わらせるシナリオの結果です。
だから、本人にシナリオを書かせてあげましょうよ。本人はつらいシナリオなんて望んでいません。できればハッピーエンドにしたいはずです。
昔は、僕もこの「死なないシナリオ」を書くのを一生懸命手伝っていました。でも、ある時それが嫌になり、気がついたんです。
「やっぱり皆さんの人生は『成功』で終わってほしい」と。「最期には『あぁ、良い人生だったね』と言われながら亡くなっていってほしい」と。
僕は「そのお手伝いをするために、医者としての仕事をしよう」と思うようになりました。
わが家も「介護」の義母を抱え、「義父が亡くなったころ」「祖母が100歳で亡くなったころ」
を思い出します。どんな人生の最期を・・・・・・・・。
人それぞれ?と言ってしまえばそれまでですが、やはり、「いい人生だった!」と
最期を迎えてほしいと考えています。
良かれと発展してきた医学が、延命という形で・・・・・・・・・。
長生きすることは「いいことだ!!」が基本なのでしょうが、
「人生は長さ?」なのかな?といつも考えています。
その「人生」の「質」「中身」は???
本人が望むこと!!
それを抜きに、「いい人生だったという最期は」難しいのではないでしょうか?
高齢者の時代?
今一度、考えてみてもいいのではないでしょうか?