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日誌


2019/04/10

4月10日(水)看取る

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者

ある医師の講演会での話です。

僕は四万十川のほとりで、入院設備のない無床診療所の医師をしています。
僕の父は、大腸がんが脳や肺にも転移していました。
だんだん意識が遠のいていく中で、最後に僕にはっきりと伝わる言葉で言いました。
「死ぬということは大変なことだと思ってたけど、それほどでもないな」
僕はもともと不安感が強く、思春期の頃にいろんな心の揺れがあり、親に心配をかけました。
だから、「医者になったら、そういう不安感の強い人や落ち込みやすい人の力になりたい」
と思っていました。
父はそんな僕に、「死ぬことは不安なことではない。
だから、おまえも心配するな」というメッセージを送ったのだと思います。

母は僕に「自分の主治医になってほしい」と言いました。
でも、簡単に通える距離ではなかったので、最後は先輩の医師に頼んで母の生まれ故郷に
ある病院へ入院させました。
小さい頃から母に褒められた記憶はあまりありませんが、見舞いに行った時、
僕の編集した川柳雑誌を見て、「今月はなかなかいい」と言ってくれました。
そして、帰ろうとした時、少し気になって母のほうを見ると、母が上半身を起こしていました。
それでハイタッチをしたのです。
63歳の息子と90近い母がハイタッチ。
母とこうやって触れ合ったのは、僕の記憶の中では初めてだったような気がします。
そして、「また来るからね」と言ったのが最後でした。
僕は、父の最期にも、母の最期にも立ち会えませんでした。
「看取るというのは、瞬間ではなく、過程である」と僕は思っていて、
それまでに父や母といろんなやり取りをしました。
だから、最期に立ち会えなかったことに悔いはありません。

僕は「在宅医療は科学ではなく文学」だと思っています。
だから、医者として医療も施しますが、ほとんどの場合、患者さんの意思を尊重し、
言葉に耳を傾けます。
「私は病院には入院しません。家で死にます」と患者さんが言うなら、
「じゃあ、死ぬまで一緒にやりましょう」と話します。
ご家族も、それで覚悟が固まっていきます。
だけど、人間なので、こうと決めても揺れることは珍しくありません。
出張に行く日、少し様子が気になる93歳の患者さんがいたので、朝電話を入れました。
その時は大丈夫そうでしたが、しばらくして訪問看護師さんから電話が来ました。
「先生、状態が悪いです」と。「本人さんはどう言うてますか?」と聞くと、
「『しんどいから入院でもいい』と」
ご本人も娘さんも「最期は家で」と言っていたのですが、病院に移りました。
途中で気持ちが変わっても、僕は良しと思っています。
人間ってそんなもので、しんどくなった時にまた方向転換すればいいのです。
病院に行っても良し、嫌になって家に帰っても、それはそれで良し。
それが自然の流れではないかなと僕は思っています。

私の両親も86歳となり、「老い?」「衰え?」が目立ってきました。
自然だとは思いますが、寂しい気持ちにもなります。
義母が入院をしています。
意識がハッキリとしないときがあり、心配です。
今回のような講演を聞くと、「看取る」ということを考えないわけにはいきません。
私自身が、60歳目の前なのだから・・・・・・。
家族のあり方、自分自身のあり方など、いつかは「誰もが」考えなければいけない。
そんなことを考えさせられました。
親愛なる日中健児のみなさん!!
一度は考えてみてくださいね!!


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