「アグネスチャンさんの講演会より」
2007年は日本デビュー35周年でした。
35年も活動を支えてくださったことに感謝して、「やっぱり平和を愛する心が一番の宝物」
と思い、恩返しの気持ちで平和の歌を作りました。
コンサートの予定を百何十か所も入れ、私はすごく張り切っていました。
さらに私は、中国でも開催したいと思って問い合わせると、
「平和のコンサートなら大歓迎です。
人民大会堂で開いてはどうですか?」と言われました。
人民大会堂といえば中国の国会議事堂で、お客様は1万人も入ります。
私は喜んでコンサートの日程を9月25日に決めました。
ところが、本番1か月前になって中国の文化部から、「会場修理のため日程を10月31日
にしたい」と電話がかかってきました。
私はがっかりしました。
チケット販売も進み、バンドメンバーの予定も押さえていたからです。
でも、後から振り返ると、実はこれは私にとってとてもラッキーなことだったのです。
1か月スケジュールが空いて時間の余裕ができた私は、寝転がってテレビを見ていました。
ふと、「右側のおっぱいがかゆいな」と思って掻くと、指先が何かに触れました。
触り直してみると小さなしこりでした。
9月15日のことでした。
その2、3週間前に私は、がん患者とその家族を支援するチャリティイベント
「リレー・フォー・ライフ(命のリレー)」にゲストとして参加していました。
ですから私はすぐに、「これはもしかして…?」と考えたのです。
でも検診となると、人に胸を見せなきゃいけません。
ですからちょっと躊躇しましたが、時間があったので子ども3人を産んだ近くの産婦人科
の先生に相談することにしました。
「先生、相談したいことがあるんですが…」と電話をかけると、「え、もしかして4人目!?」
と言われました(笑)。
病院に行って先生に診てもらいました。
結果を見ながら先生は、「念のため専門医を紹介しましょう」と言いました。
二日後、総合病院でマンモグラフィー検査を受けました。
「結果が出たら電話します」と言われ、その日は帰りました。
結果が出たのは9月25日でした。
なんと、この日はあの人民大会堂でコンサートをするはずの日でした。
夜、仕事から戻って夫と2人で電話が来るのを待ちました。
でも10時半を過ぎても電話はかかってきませんでした。
「今日は来なかったね。明日、こっちからかけてみよう」と私が言うと、
夫が、「先生は今日かけるって言ったんだろ」と言って病院に電話をかけました。
先生はまだ病院に残っておられました。そして電話で話しました。
結果を聞いていた夫の表情が見る見る暗くなっていきました。
そして夫は、「これからのことを相談したいので、今から伺ってもよろしいですか?」
と電話を切りました。
私はずっと緊張しながらその様子を見ていました。
そして電話を切ってすぐに「どうだった?」と聞きました。
夫は「乳がんだった」と答えました。
私は頭の中が真っ白になり、胸がずどんと撃ち抜かれたような衝撃を受けました。
彼の運転する車に乗ってからもずっと私は気持ちが動転したままでした。
私の親戚で乳がんになった人はいません。
それに私は、日頃から食べ物に気を付け、暴飲暴食もしていません・・・たまにしか(笑)。
お酒も飲まないしタバコも吸わない。
だから健康には自信がありました。
そんな私でしたから、がんを宣告されたことが悔しくて、ずっと泣き続けていたのです。
そんな私を見て、夫が怒り出しました。
「何を泣いているんだ。人間は寿命が来たら死ぬし、寿命が来てなければ死なないんだ。
まだ先生の話も聞いてないのに、泣いてもしょうがないじゃないか」と言いました。
「たしかにそうだ」と納得した私は、ようやく少し気持ちが落ち着きました。
そういう夫も、とても取り乱している表情でした。
普段は冷静な彼の、そんな慌てた姿を見たのは初めてでした。
そして私は思いました。
「そうだ、がんになって取り乱しているのは私だけじゃない。周りの人たちも大変なんだ」と。
私ががんになれば、夫や周囲の人たちで、子どもの面倒から掃除や洗濯など、
何から何まで代わりにやらなければなりません。
そんな彼のこれからの大変さを思い、「彼の気持ちも理解しなきゃ」と思ったのです。
そして決心しました。
「この問題を乗り越えるために、まずはやっぱり私が覚悟を決めなきゃ」と。
そうやって考えていくうちに心構えができ、病院での先生の話も冷静に聞くことができた
のでした。
到着したのは夜11時過ぎでした。
先生の説明は分かりやすく丁寧でした。
「がんは悪性である」こと、しかし「極めて小さくて早期である」こと、そして
「手術は早めがいい」ということでした。
私は「秋は人民大会堂のコンサートもあって忙しいので、手術は12月くらいがいい」
と言いました。
でも先生は、「転移する前に取ってしまいたい。なるべく早く手術をしたい」
とおっしゃいました。
年末までスケジュールの空きは全くありません。
ただ、当初25日に予定していた人民大会堂のコンサートの後に、休養のために5
日間の休みを取っていたのです。
「何とかこの5日間で手術して退院させてください」と先生にお願いし、ようやく「10月1日
が手術日」と決まりました。
奇しくもその日は、乳がんの啓発運動を促進する記念日、「ピンクリボンの日」でした。
「この一連の出来事は偶然じゃない。きっと何かのメッセージに違いない」と私は思いました。
一昨日、校長会の研修会で「小児がんで娘」を亡くされた方の講演を聞きました。
「人は生まれたら、誰でも、必ず死ぬのです。」
「だから、一日一日を一生懸命生きてほしいのです。」
「親よりも子どもが先亡くなることを『逆縁』」と言うそうです。
「逆縁で子どもが先に亡くなると、親だけでなく、必ずまわりの人たちは深い悲しみに
暮れるのです。」
講演を聞いていて、涙が止まりませんでした。
全国で多くのかたが「ガン」罹ります。
きっと、身内の誰かはガンに罹る時代なのかもしれません。
自分自身が宣告されたら・・・・・・・・・。自信はありませんが、自分自身の身に降りかかる
あらゆる事を「偶然」として片づけるのではなく、「必然」必然として受け止めたい!
と考えています。
自信はありませんが、そうありたい!!
そう思わせる講演でした。