「みやざき中央新聞 中部特派員」 山本孝弘さんより
静岡県浜松市を中心に中学校、高校で生徒に講話をする活動をしている。
学校からは「仕事の素晴らしさや社会に出ることが楽しみになるような話をしてほしい」と求められている。
生徒に仕事をする意味やイメージを聞いてみると、「お金を稼ぐためにするもの」「つらいけど我慢するもの」と答える子がとても多い。
戦後の焼け野原から日本人は働きながら豊かな未来を夢見ていた。やがて先進国の仲間入りをし、物質的には何もかも手に入れた。と同時にお金を稼ぐこと以外の、働く意味を見失ってしまったのだろうか。いや、もしかしたら我々が働くことの意味や素晴らしさを子どもたちに語ってこなかったのではないだろうか。
昨今、「働き方改革」が叫ばれるが、子どもたちには「働くことのイメージ改革」が必要だ。そんな思いで講話では、いろんな角度からさまざまな仕事の話をしている。
仕事を、ただお金を稼ぐためにするのはつまらない。そこでよく例に出すのが㈱アビリティトレーニング代表、木下晴弘著『涙の数だけ大きくなれる!』(フォレスト出版)の中に出てくるスーパーのレジ係の女性の話だ。
その女性は、就職するも続かず、いつも数か月で辞めて転職を繰り返していた。理由は「嫌いな上司がいるから」「自分には合わないから」「想像していた仕事ではなかった」等々。
ある日、田舎の母親から「もう帰っておいで」と電話があった。その時はスーパーのレジ打ちの仕事をしていた。
母の言葉に後押しされ、部屋を整理し始めた時、子どもの頃に書いた日記が出てきた。「私はピアニストになりたい」と書かれた頁があった。飽きっぽく何をしても長続きしなかった彼女が唯一続いたのがピアノだった。
希望に燃えて毎日頑張っていた少女時代の「私」が、大人になった「私」を叱咤し激励しているように思えた。
彼女は田舎の母親に電話をし、「もう少しここで頑張る」と伝えた。
彼女が心に決めたこと。それはレジ打ちを極めることだった。当時は今のレジとは違い、金額を手で打ち込むタイプのレジだった。
「私はピアノをやっていた。鍵盤をたたく要領でキーの位置を覚えれば早く打てるのではないか」
数日もするともの凄いスピードでキーを打てるようになった。すると今まで見えなかったものが見え始めた。「この人はよく高い商品を買う」「この人はいつも閉店間際に来る」等々。
ある日、よく来るお婆ちゃんのカゴに、5000円もする尾頭付きの鯛が入っていた。思わず彼女は話し掛けた。
「今日は何か良いことがあったんですか」
「孫が水泳で賞を獲ったんだよ。今日はお祝いするの」
「おめでとうございます!」
この会話をきっかけに、彼女は右手でレジを猛スピードで打ちながら、お客さんと会話をするようになった。初めて仕事を「楽しい」と思えていた。
ある日のこと。店長の店内放送が流れた。「本日は混み合っています。空いているレジにお回りください」
彼女は気付いた。五つのレジのうち、自分のレジにだけ行列ができていることを。店長がお客さんに他のレジに行くよう促すと、お客さんは答えた。「私は買い物だけをしに来ているんじゃないの。あの子と話したくて来てるんだからここでいいの!」
レジ打ちを極めた彼女は多くのファンを獲得し、気が付けば彼女にしかできない仕事をしていたのだ。
働くことのイメージが変わり、少しでも明るい未来を想像できるようになってくれたらいい。これからもそんな期待を込めて「未来の大人たち」に話していこうと思う。
我々教員は、目の前の子どもたちに
「明るい未来を想像できる」そんな話を伝えているだろうか?
また、
「明るい未来を想像できる」そんな「働く姿」を見せているだろうか?
今の子どもたちは「仕事が長続きしない?」と嘆く前に、
大人として・・・・・・・・・・。
そんな教員でありたいものです。
それぐらい影響力のある「仕事」なのではないでしょうか?
と私は思っています。
教員のみなさん、どうですか?