詩人 南邦和 より
子どもが書いた「ごみはえらい」という詩があります。
ごみはえらい、だっていろんなものにへんしんできるから
すてられたらリサイクルされる
だからへんしんするのさ
たとえばアルミかん、それにぺットボトル、さらに板やふくろ
だからごみはえらいのさ大人は「ごみは汚い」と思うので「ごみが偉い」なんていう発想はなかなか出てきませんよね。
子どもたちは素直に思ったことを書いていくのでとても素晴らしい詩ができるのです。
子どもたちに詩を書かせる時、まず私は「どんなものが詩になるか」というお話をします。
「きれいなものだけでなく、きれいでないものも詩になりますよ」と言います。あえて「汚いもの」とは言いません。
その時によく引用するのが次の「うんこ」という詩です。
…うんこというものはいろいろなかたちをしている
いしのようなうんこ、わらのようなうんこ
うんこというものは、いろいろないろをしている
うんこというものは、くさやきをそだてる
うんこというものを、たべるむしもいる
どんなうつくしいひとのうんこもくさい
どんなえらいひともうんこをする
うんこよ、きょうもげんきにでてこいこれは詩人の谷川俊太郎さんの詩です。この詩を読むと子どもたちはゲラゲラ笑って
喜びます。
「君たち、うんこ汚いと思う?」と聞くと、「きたねー」と子どもたちは答えます。
「じゃあ君、うんこしないの?」と聞くと、「するよ」と言います。
「じゃあ、うんこしなかったらどうなる?」と聞くと、「死ぬよ」と言います。
「うんこっていうのは人間にとってすごく大切なものだよね。汚いけれど役に立つ。うんこがなかったら人間は生きていけない。うんこをするっていうのは、人間が生きる上で、生命を維持する上でとっても大切なことなんだよ」と言うのです。
すると、子どもたちは気付きます。そして子どもたちのうんこを見る目がそれまでとは変わるのです。
こんな発見をしていく中で子どもたちは「詩ってそんなものなんだな」と思います。
それまで、「虹は美しい」「花はきれい」と、きれいなものばかりを書いていた子どもたちが途端にみんなうんこの詩を書き始めるからとても面白いです。
もう一つ、「おならはえらい」という詩をご紹介します。
おならはえらい
でてきたとき、きちんとあいさつする
「こんにちは」でもあり、「さようなら」でもある
あいさつを、せかいじゅうのどこのだれにでもわかることばで
えらい、まったくえらいこれは、児童詩の分野の第一人者で、「ぞうさん」を書いたまどみちおさんの詩です。
「詩というのは何を書いてもいいんだよ。美しいものも美しくないものも、人間が生きる上で大切なものはみんな詩になる。見えないものも詩になる。想像するというイメージの力で、見えないものを見えるように書いてごらん。それも大切な詩の世界だよ」と、私はいつも子どもたちに伝えています。
私も中学生に対して「うんこ」の話を朝会でします。
それは、人間は「きれいごと」は自慢げに言いますが、
自分自身は「汚い部分」もあり、「汚いもの」を排出しているのに、
いつも、それを棚に上げて「正しいこと」「きれい事」ばかり言い張るからです。
人間はお互いに「きれいな部分」もあるけれど、「汚い部分」も持ち合わせている。
これは、「長所もあれば短所もある」という多様性を認め合う原点になると
考えているからです。
「きれい事」「正しいこと」「良いこと」を否定するものではありません!
しかし、人間は「そのような弱さ」も併せ持っているし、それを受け入れていくことが、
「ともに!!」という共生に繋がっていくのではないでしょうか!?
世の中から「汚れた部分」「汚い部分」は絶対になくなりません!
また、いつ自分がそのような立場になるのかは、誰も分かりません。
お互いに「その弱さ」を認め合いましょう!!
親愛なる日中健児のみなさん!!
「自分の弱さを認め、他人の弱さを認められる!」
そんな大人に成長してくださいね!!
自分自身は「そんなに立派な人間ではありませんよ」
人間らしく!!
だって、人間だもの!!