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日誌


2019/05/28

5月28日(火)人生の後半戦

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
私は『釣りバカ日誌』の主人公・ハマちゃんから「幸せをつかむ四つの方法」を教わりました。

 その一つ目は、「楽天脳と肯定脳」です。ハマちゃんはこれら二つの脳を併せ持つ
スーパーサラリーマンなんですね。
 「楽天脳」とは、気に入らないことやピンチになっても「なんとかなるんじゃないの」と、
常に楽観的な発想に持っていく脳。「肯定脳」とは、すべての物事を前向きに捉える脳です。
  この二つの脳が合体すると「能天気」ということになる。この脳の持ち主になると出世は
なかなか難しい(笑)。でも、ストレスにはメチャ強くなります。
  だから、ダメ社員ハマちゃんを左遷する場所がない。北海道や九州、四国の営業所に飛ばそうとしても、喜んで行っちゃうからです。
  そして、最終的に東京の本社で飼い殺し状態になっているのがハマちゃんなんですね。でも、本人はちっとも落ち込んでいない。やはり能天気だからなんですね。

 二つ目は「自利で動く」。ハマちゃんは最初から他利を考えません。
  一番分かりやすいのは、プロポーズの言葉です。みち子さんにこう言い放ちますね。
「あなたを幸せにする自信はないけど、ボクが幸せになる自信はある」。
見事な自利、これがハマちゃん流の生き方です。

 三つ目は、「分かりやすい人間であること」。
  「ハマちゃんを北海道に飛ばしたら喜ぶだけ」というように、ハマちゃんは他人から見て、
とても分かりやすい人間です。
  会社など、大きな組織になればなるほど、「分かりやすい」ということは重要です。
なぜかと言うと、相手に警戒心を抱かせないからです。分かりやすい人間はむしろ、
相手に居心地の良さまで提供してしまうんです。私も小学館の組織の中で、とにかく
分かりやすい人間でいようと心掛けていました。
  そのおかげで、「黒笹は釣りが好きだから、外で遊ばせておけばいい」ということで、
『釣りバカ日誌』を始め、自然とアウトドアの雑誌『BE-PAL(ビーパル)』の仕事に巡り合った。
苦手なカルチャー系の雑誌に行かずに済んだのも、そのおかげです。

 四つ目は、「迷ったときに『戻る場所』を決めておく」。
  別の言い方をすると、「何のために自分はいまここにいるのかを、常に自分自身の行動
の中心に置く」ということです。
  ハマちゃんの場合、戻る場所は「釣り」やみち子さんや鯉太郎の待つ家です。
私の場合は「釣り」だけではありませんでした。仕事や人生で迷っても、常に「戻れる場所」
は決めていました。えっ、それは何かって? 秘密です(笑)。

  私がいまシニアの皆さんにおすすめしているのが「人生二毛作」発想です。
二毛作とは、同じ土地で春と秋、夏と冬に違うものを作る農業のスタイルですね。
  これを私の人生になぞらえてご説明すると、一毛作目は東京でやっていた編集者。
そして二毛作目は定年退職後に違うことをしようと決意した高知への移住です。
  なぜ高知だったのか。「釣りをしたかったから」なんですが、高知の人たちは生まれながら
にして「楽天脳」と「肯定脳」を持ちあわせていたからというのが大きい。
  さらに私は定年移住を機に、長年にわたり築いてきた人間関係を、本当に大切な方以外すっぱり断ち切ることにしました。
 そうすると、まったく新しい人間関係をまたゼロから構築する新しい楽しみが手に入った。
 これは実際やってみると分かるのですが、とほうもない快感です。
ただし、「楽天脳」と「肯定脳」がないとなかなかできませんけれど。

  じつは移住を決意した一番大きい理由、それは「3・11」です。
  東日本大震災は、私が11月に定年退職を迎える年の春に起きました。
  私を含め、あの時東京に住んでいた人間は、「ひょっとすると東京はダメになるかも」と
心の底から恐怖を感じました。
  東京は、電力を福島、食べ物を北関東や東北に依存していたので、「こういう事態が
起きたからには、東京、そして日本は変わらざるを得ないだろう」と覚悟しました。
  「その時には自分はどのように行動しようか」というところまで含めて真剣に、そして深刻に考えていたのです。
  しかし、3か月も経つと、東京では何事もなかったかのように震災前と同じ生活が始まり
ました。「東北であれだけの悲劇が起きても東京は他人事なんだ」。
私の心の中で、ふるさとの町への愛着が一気に冷めていきました。
  そして、せめて自分自身の中だけでも3・11の決着をつけようという気持ちが強くなって
きた。そのためには3・11がなければやらなかったことをすればいい。
「それはなんだ? 見果てぬ夢だった地方移住だ」となったわけです。

  人間はどんなに頑張っても、最期は四角い箱に入って灰になります(笑)。
そして、灰になるということは土に還るということでもあります。
  東京にいた頃の私は「土から一番遠い生活」を送っていた。
ですから、老後は少しでも土に近い場所、自然に近い場所、高知に住もうと思ったのです。
  移住後もいろいろ仕事が忙しくて、当初夢見ていた釣り三昧の生活は果たせて
いませんが、「仕事ときどき釣り」の二毛作の生活を謳歌しているところです。
<NHK文化センター京都支社が主催した講演会より>

さて、自分(あなた)の人生の後半戦は・・・・・・・・。
子育ては「あっという間に・・・・・」
子どもたちが自立すれば、自分の人生の後半戦です。
日中健児の保護者のみなさんも、目の前ですよ!!
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