クラスがスタートし、折り返し地点に入ってきました。だんだんと安心安全な場が教室に築かれてきたでしょうか。そろそろ、「主体的・対話的で深い学び」に向かっていきたい時期ですね。
では、「主体的」ってどういうことでしょう?アクティブラーニングがそもそも言われ始めることになったモチベーションは、答えなき時代を生き抜くために、自らの人生を切り拓く力を身につけさせたいというものでした。できるできないは別として、気構え?姿勢?生き方?どんな言葉が適切かわかりませんが、主体性がなければ、人生を切り拓くことは難しいと思います。
学校や学級ではどう主体性を育めばよいのでしょうか。東京学芸大学教職大学院准教授 岩瀬直樹氏がこんなことを言っています。「学校や学級において子どもの主体性がベースになっているかどうか。」が大事だと。
そこで、こんな例を挙げています。教室環境について。割りと根強い価値観として、「子どもたちのためにいろいろやってあげるのが先生の仕事」で、できるだけ手をかけ、時間をかけることが「よい先生」という思い込みがあり、そこから変えていく必要があると。例えば新学期を考えてみましょう。先生が、教室のロッカーに一人ひとりの「名前シール」を貼ります。下駄箱にも名前シールを。掲示物を貼るのも先生が丁寧に丁寧に。放課後教室を整頓するのも先生。掃除当番表も、給食当番表も先生が美しく創ります。そして教室は「先生が丁寧に創り上げた場所」になります。ここで、子どもたちが学んでいることは何でしょうか。「自分がやらなくても自分の周りの環境は自動的に整っていく」「自分の周りを居心地よくするのは先生の仕事」。よかれと思ってしていることが子どもたちの自主性を阻害し、「やってもらうのが当たり前」という受け身にさせているのかもしれません。
学習環境も、学習者でありその場の主体である子どもたちと一緒に創っていけばよいのではないでしょうか。「教室のロッカーに一人ひとりの名前シールを貼る」には他の方法はないでしょうか。「せんせー、ロッカーに名前シールが貼ってありませーん」「ほんとだねー」「誰がどこに入れるかわかりません」「そっかー、それは困ったねー。で、どうしたい?」「名前シール貼りたい」「おっ!いいアイディア。どうぞどうぞ。そこにシールもあるし、名前の印もあるよー。あっちにテプラもあるから使ってもいいよー!説明書もあるから読んでみてねー。」これで何の問題もなくスタートです。「せんせー、給食献立表がないと明日の給食が何かわからないよ。」「そっかー確かにそうだねえ」「貼っていいですか?」…
困ったら、不都合を感じたら、自分たちでなんとかしていく。そうして、自分たちで教室を作っていく。自分たちでやれること、やりたいことは自分たちでやる。そのことで子どもたちは、「自分の周りは自分が行動することでよりよくなる」ことを体験するのではないでしょうか…。と。
対処の仕方や知恵は適切に示してあげながら、主体性の芽を摘まないように教え導いていくことが我々教師にもとめられているのかもしれませんね。
このことは、保護者のみなさんにも言えることではないでしょうか?
どうしても、「子どもたちの面倒を見る?」ということで
子どもたちが「やろうとしている!」ことを、先回りして「やってあげてしまう?」
人生の先輩として「こうなると、失敗してしまうかも?」と心配になるのは
分かるのですが・・・・・・・・・。
小さな子どもが「転ばないように」親が手を出す?手を貸す?のと似ていますね。
きっと、「転ばないように」守られて育った子どもは、小さな時?保護者が近くに
いるときは「転ばないかもしれません」が、将来、独り立ちしたときには
「転び方を知らない?」かもしれませんし、「失敗を恐れて、何もしない?」
そんな大人になってしまうかもしれませんね。
「学ぶ」とは、失敗する?自分で経験してみる?ことなのかもしれませんね。
よろしくお願いいたします。