魂の編集長 水谷謹人
アンデルセンの童話に『マッチ売りの少女』という作品がある。大晦日の夜、寒空の下でマッチ売りをする少女の物語である。「売れないとお父さんに叱られる」「全部売れないと家に帰れない」という。しかしマッチは思うように売れない。
夜も深まり、あまりの寒さに少女は暖を取ろうとマッチを擦る。すると1本のマッチの炎と共に一つの幻影が現れる。暖かいストーブ、ガチョウのまる焼き、クリスマスツリー等々…。しかし炎が消えると幻影も消えてしまう。
亡くなった祖母の幻影も現れた。少女はおばあさんが消えないように、次々にマッチを擦る。そして最後の1本になった時、その炎の明かりの中で少女は祖母に抱かれて天国へと昇っていく。
大人になってこの童話を読み直した中小企業診断士の平野喜久さんは、職業柄「なぜマッチは売れなかったんだろう」と素朴な疑問を持った。そして勝手にその続きを、童話調のままビジネス本にした。それが『なぜ少女のマッチは売れなかったのか』(電子書籍)である。
天国の門の前までやってきた少女は、門番の老人に「おまえさんは何をしていたのか?」と尋ねられる。少女は、「父からマッチ売りをさせられていた」と話す。
老人はマッチを知らなかった。少女が「火をつける道具で、棒の先に薬品がついていて、壁で擦ると火がつくの」と教えると、老人は「火をつける道具なら火打石があるじゃないか」と言う。
「あれは手間がかかるの。これは一瞬で火がつくのよ。火打石に比べるとかなりの時間の節約になるの」と説明する。
それを聞いて老人は面白いことを言う。「つまりマッチを買うということは時間を買うということではないか。おまえさんが売っているのは『時間』だ」と。
そして「お客は誰なのか?」という話になり、「忙しくて時間がない人で、毎日火を使う人」という客層が見えてきた。
「それにしてもそんな便利なものがなぜ売れなかったのか」と老人は腑に落ちない。少女の話によると、「マッチは外国で発明されたばかりで、街の人はまだマッチのことを知らないから」と言う。
それでも全く売れなかったわけではない。ほんのわずかだが買ってくれた心優しい人もいたらしい。
少女の話を聞きながら老人は思った。
「確かにマッチは火打石に比べて便利な商品だ。使った人がそれを実感したらまた欲しくなるはず。しかしリピーターがいない。少女は『売れないとお父さんに叱られる』と言っていたが、もしかしたらそれが彼女のセールストークだったのではないか。買った人はマッチを買ったのではなく、少女に同情してお金をあげていただけなのではないか。だからマッチを持ち帰っても使っていないのではないか」と。
そして老人はこう言う。「このマッチの価値が分かったら自然に売れていくはずだ。売り方さえ間違わなかったら」と。
「売り方」といっても少女は「1日に回る軒数を増やす」とか「売り歩く時間を長くする」ことくらいしか思いつかない。
「そんなことではない。おまえさんの信用が大事なのだ」と老人。「もっときれいな服を着なさい」「サンプルを無料で配って利便性や安全性を実感してもらいなさい」などと助言する。徐々に少女の目は輝き、「もう一度マッチを売りたくなりました」と言う。
平野さんは、「アンデルセンをこよなく愛する人たちから『作品を汚すな』と叱られるかもしれない」、そんな不安を抱きながら、最初は電子書籍を英語版で発行したそうだ。結果、7か国のネット通販で好評を得たそうで、昨年日本語版を出したという。
確かに「マッチ」を自社の商品に置き換えてみると、すごく勉強になる。
童話の物語をどう感じるかは、読む人それぞれの感受性で違うだろう。子どもは子どもなりに、教育者は教育者なりに、ビジネスマンはビジネスマンなりに。
それにしてもこんなふうに使われるとは天国のアンデルセンの反応やいかに。
私も、担任時代よく「童話」を中学生にも読んでいました。
理由は、同じ童話ですが、「聞く時期」「聞く人」によって、毎回毎回同じ童話に聞こえない?
からです。
アンデルセンは、アンデルセンなりに「こう考えて、こう捉えてくれると・・・・・」と考えながら
作品を創ったのかもしれません。しかし、聞く側は、その時々で「全然、違って聞こえるもの」
です。不思議ですね。
「童話」「昔話」と侮ってはいけません。
奥が深いですね。
自分の子どもの時に読んだ童話も、今、孫に読んでいると・・・・・・。
不思議ですね!!
中学生のみなさんも、もう一度、読んでみたら???
どうですか?