みやざき中央新聞より
今年のゴールデンウィークはいつになく長かった。まるで「長いトンネル」のようだった。
「トンネル」に入るときには「平成」という時代、抜けたら「令和」という時代になっていた。
「長いトンネル」のおかげで、新しい時代の幕開けをじんわりと感じることができた。
仕事を終えて帰宅して、その翌日、「令和」になって出勤だったらあまりにも味気なかった
かもしれない。もちろんそんな職場で「令和」の初日を迎えた人も多々いるだろうが・・・。
ふと19年前のテレビコマーシャルを思い出した。
20世紀が終わろうとしていたその年の暮れ頃、女優の吉永小百合さんがシャープの
液晶テレビを抱えていた。その横には風呂敷に包まれたブラウン管のテレビがあった。
そして吉永さんがこう言った。「20世紀に置いていくもの/21世紀に持っていくもの」
そのシャープも経営が傾き、平成の時代に置いていかれそうになったが、台湾の企業に
救われ、かろうじて令和の時代に滑り込んだ。
時代が移り変わる時、消えていくものと次の時代に残っていくものとに振り分けられる。
明治維新の時も、終戦の時もそうだった。
人の記憶もそうなのだろうか。先の大戦の時、戦場に駆り出された最年少が16歳だった。
ご健在であれば90歳。戦争を知る人たちがどんどんいなくなっていく。
アメリカのホスピスで音楽療法士として活動している佐藤由美子さんは、音楽を通して
数多くの元軍人とも接してきた。それらの経験が将来の自分の深い学びにもなり
、同時にこれから出会う患者のケアにも役立つと思い、彼女は患者とどのように関わったのか
をノートに書き留めてきた。
だが、一人だけ書き留めなかった人がいた。「あまりにも衝撃的な出会いだったため、
気持ちの整理に時間がかかったのかも・・・」とポプラ社Webstaの連載『戦争の歌がきこえる』
に書いていた。
佐藤さんがその男性を担当したのは2003年のことだった。
当時78歳で、肝臓がんの患者だった。
彼がかつてサイパンに出兵していたことは周りのスタッフも知っていた。
リクライニングチェアに座り、窓の外の鳥を見ていた彼と、佐藤さんはこんな会話をした。
「今日の体調はどうですか?」「調子はいいよ」「鳥が好きなんですか?」「きれいだからね」。
そして彼のためにアイリッシュハープを何曲か奏でた。
しばらくして彼はつぶやくように言った。
「戦争中、中国人の女性に出会ったことがある。とてもよくしてもらった。君も中国人かい?」。
佐藤さんが「いいえ、日本人です」と答えると、彼の眼が大きく開いた。
表情がこわばっているのが見て取れた。彼は、絞り出すような声で言った。
「I killed Japanese solders(僕は日本兵を殺した)」
その時の様子を佐藤さんは同記事にこう書いている。
「この告白は、彼の中にずっとしまわれていたものが、期せずして外に飛び出てしまった
ような感じだった。瞬きひとつせず、私をじっと見つめているが、その目はまるで死んだ人間
を見るかのような当惑したまなざしだった」
そして彼はこう続けた。
「彼らは若かった。僕も若かった・・・。彼らの家族のことを考えると・・・」。
これ以上言葉は続かず、リクライニングチェアの上で、彼の痩せ細った体は激しく震え始め、
やがて声を上げて泣き出してしまったという。
時代と共に移り変わったのは目に見える風景だけだった。
ひとつ前の時代に置いてきた負の感情は消えていたわけではなかったのだ。
そんな人たちがどれほどいたことだろうか。
日本には「水に流す」という独特の思想がある。
「決して消えないけれど、もう咎めない」という意味である。
そのことで日本人は「正邪」や「善悪」より「和」を重んじようとしてきた。
日本人が大切にしてきた「和」!
個性、個人主義、人権・・・・・が叫ばれるようになって、「自己中心的?」「独りよがり?」
「自分の殻に籠もる?」・・・・・・・。
「自己」を大切にしながらも、「相手」「まわり」を尊重できる「和」!
時代は変わっても「令和」の「和」は、日本人として大切にしたいものですね!
親愛なる日中健児のみなさん。
よろしくお願いしますよ!
これを次の時代に持っていきたい。みんなが前を向いて生きていくために。