中部特派員 山本孝弘
沖縄本島を走って1周する驚異的な大会がある。総距離400kmを72時間以内で完走しないといけないという過酷なレースだ。
NHKでその「沖縄本島1周サバイバルラン」の特集番組を観た。昨年11月に開かれたその大会に全国から68人がエントリーし、完走できたのはわずか5人だったという。
レースは昼12時にスタートした。初日は台風27号の影響で夕方から豪雨になった。途中、食事を取るための休憩所に一人の痩せた男性が入ってきた。「僕が最下位ですよね。これから頑張ります」
疲労困ぱいの様子だった。沖縄そばをすする彼の映像に「49歳 社会保険労務士」というテロップが重なった。私と同い年の男が頑張っていた。
夜10時半、58km地点にある給水所で「あと一人来ない」と、大雨の中、スタッフが心配そうに呟いていた。しばらくするとタイムオーバーしたランナーを乗せた車が到着した。車から降りてきたのは先述の49歳の男性だった。
「回収されました」。照れ臭そうに笑いながらテレビカメラに向かってそう言った。
乗り換えた車のルームライトで彼の顔がはっきり見えた。私は目を疑った。大学時代の同級生だった。最後に会ったのは共通の友人の結婚パーティーだから6年前だ。
元々痩せ型だが、さらに痩せたように見えた。インタビュアーが「なぜここまでして走りたいんですか?」と彼に聞いた。
「俺みたいな貧弱な体でもこんなに走れるんだということを証明してみせたかったんです。これまでも趣味で走ってたんですけど、一昨年がんになって胃を3分の2切ったんです。もう俺はこれからは走れないのかなって…」
がんのことは知らなかった。彼は続けた。
「めちゃめちゃ楽しいです。苦しいけどそれは楽しさの一部です」
ここで女優・吹石一恵さんのナレーションが入った。「完走はできなかったけど表情はなぜか明るい」
確かに彼の目は輝いていた。それを見ていたらふいに目頭が熱くなった。そして「感動したよ」と彼にメールした。
歌手の長渕剛さんは9年前の東日本大震災の時、「歌なんか歌っている場合じゃない!」と、自分の無力さに苛立ったと語っていた。しかしすぐにそうではないと思い立ったという。「俺の役目は歌で被災者を勇気づけることだ」と。
そして新曲を携えて被災地を訪問し、慰問コンサートを開催した。自衛隊の宿泊地も訪れ、「皆さんは日本の誇りです。僕の大事な誇りです!」と絶叫した。隊員たちは皆涙を流した。
以前、取材した直木賞作家・村山由佳さんも「震災の時には無力感に苛まれた」と語っていた。
震災の数か月後のこと。村山さんは仙台で新刊本のサイン会を行った。その本のあとがきに「自分の書く物語にどれほどの意味があるのかと、打ちのめされる思いだった」と書いていた。
サイン会に二十歳くらいの男性がやってきた。彼はサインをしてもらったが帰ろうとせず、カバンからぼろぼろになった文庫本を取り出した。村山さんのデビュー作だった。地震の時、パニックになりながらも、近くにあったその本をなぜか手に取り避難したという。
「避難所では暗い話ばかりでした。目の前には絶望的な光景しかありません。そんな中、この本を乾かしながら何度も何度も読んだんです。どうしようもない現実から僕の心を逃がしてくれたのは村山さんの小説でした。村山さんの言葉が僕を救ってくれたんです。だから、『小説に力がない』とか『言葉に意味がない』とか、そんなこと言わないでください」、そう言って去っていった。その言葉に救われた村山さんの目から涙が溢れた。
人の心には「琴線」というものがある。それは何か強い想いに触れると共鳴して響き出す。時には人生を救うほどの強さで鳴り響くこともある。人知れず頑張っているあなたの姿や思いは、きっと誰かの心に届いている。
ある研究によると、宇宙は全て「一つ」。
当たり前と言えば、当たり前だとは思いますが・・・・・・・。
最初が「ビッグバン」の「一点」から始まったことを考えれば、・・・・・・・。
「過去」「現在」「未来」全てが詰まっていて、「全ては何もなく、『波動』で繋がっている!」
そうです。「シンクロ」「共鳴」は当たり前ですね!!
「類は友を呼ぶ!」
きっと、前向きに頑張っていれば「その心がシンクロして!」
同じように前向きな人たちに伝わっていきますよ!!
私は、そう信じています。
がんばれ!!日中健児!!