「みやざき中央新聞」より
誰が名づけたのか、福岡市中央区天神の北西部を南北に走る「親不孝通り」。
1970(昭和45)年頃、そこには九州英数学館や水城学園といった地元大手の予備校が
あって、多くの浪人生たちがたむろしていたことからのネーミングであった。
一説には、勉強せずに遊んでばかりいる予備校生に、飲食店主が「あんたたちゃ
親不孝もんばい」と説教したことから始まったという説や、
親に心配と負担をかけている自省から、予備校生自らが自虐的に名付けたという説もあり、
さらには開き直った予備校生のフテ腐れ自称だった、ともいわれている。
やがて、その名の面白さから若者たちが集まるようになり、観光マップに紹介されるなど
して人気沸騰。若者の街として全国的に知れわたった。
バブル期には九州最大のディスコ「マリアクラブ」が開業。
近くの長浜公園はストリートミュージシャンの聖地となって、集まってくる女の子目当てに、
やんちゃ連中が改造車を連ねて乗りつけるなど治安が悪化。
夜毎、公園で花火をあげ、明け方まで大声で騒ぎ、喧嘩沙汰や薬物犯罪の温床にも
なっていったのである。
こうした事態を重く見た警察が長浜公園に交番を設置。
補導した若者たちの多くが、「親不孝通り」という名に惹かれて来た、と言うものだから、
「親不孝通り」の名を使わないよう市に要請するにおよんだ。
これに呼応して地元住民や商店会も立ち上がり、「天神よろず町通り」と改名したものの
不評で、2000(平成12)年に発音だけ前と同じ「親富孝通り」に変更した。
しかし、そんな教訓めいたような名前など受けるわけがない。
さらには中央の大手予備校が福岡に進出してきたことから、地元予備校は撤退。
その結果、賑やかだった通りから人影が激減してしまったのである。
これに頭をかかえた商店主たちが、かつての愛着ある「親不孝通り」に戻すべきか模索し、
2017(平成29)年にアンケート調査したところ、7割近い賛同を得て旧称が復活すること
になった。
こうして、先の4月14日、親不孝通りエリアまちづくり協議会と天神3丁目町内会は、
バリアフリー化した親不孝通りのお披露目イベント「親不孝通り復活祭 2019」を開催。
会場ではラーメンなどの販売やパレードのほか、かつての人気にちなんで、
「もう親不孝せんばい」という思いをこめたカレー1000杯を無料で振る舞い、
人気復活をアピールしたのだった。
「親孝行」したいけれど、「親不孝」をしている人たちもたくさんいるのでは?
私も、同居している義母の「介護」という現実に直面し、
衰えが目立ってきた「心筋梗塞、硬膜か血腫」を経験した実母や
結構そうに見えるけれど「耳が遠くなり」「目が見えなくなり」・・・という実父に対して、
「親孝行」とは?と考えさせられる日々です。
「働き方改革」とは関係はありませんが、休日のうち「一日」は親孝行に当てなければ、
と思いながら・・・・・・・・・。
10連休も過ごしました。
「親孝行」する姿を子どもたちが見て、また、「親孝行」をする!!
そんなサイクルの世の中にしたいものですね!!
親愛なる日中健児のみなさんは、「親孝行」していますか?