陸上女子長距離の指導者として
2000年シドニー五輪マラソン金メダルの高橋尚子、
1992年バルセロナ銀、
1996年アトランタ銅の有森裕子ら数々の名選手を育てた小出義雄監督が24日午前、
肺炎のため死去しました。
選手としては、練習は真面目だったそうです。
箱根駅伝に1年5区、2年8区、3年は8区を走りました。
4年は故障で欠場でした。
大学在学中は関東インカレのマラソンで3位になったこともあるそうです。
卒業後は、千葉県の公務員試験(公立学校教員採用試験)に一発で合格。
長生高校の教師になって、念願の陸上指導者になりました。
しかし、佐倉の自宅から遠く、数年後には地元の佐倉高に移りました。
後に船橋市教育長になる市立船橋高校の市川校長から『全国高校駅伝で優勝したい』
ということで、市立船橋高校に転勤すると、3年で全国駅伝で優勝しました。
その2年後にリクルート(ランニングクラブ)の監督になったそうです。
彼の指導の特徴は褒めて伸ばすこととよくいわれますが、本当は短気な人だそうです。
自分を殺して、我慢して選手のことはめったに怒りませんでした。
それがストレスになったかどうか?分かりませんが、浴びるように酒を飲んでいたそうです。
たばこも吸ってたそうです。
しかし、80歳という年齢と、日本の陸上界、そして女子マラソン界への功績を考えると
「80年間を短距離走のように、突っ走った!!」のかもしれません。
80年間、お疲れ様でした。
ご冥福をお祈り申し上げます。