「みやざき中央新聞」より
皇位継承に伴う改元があるということで、様々な議論や報道がなされています。
皇居の近くに、日本国憲法の原本などが保管されている「国立公文書館」があります。ここの売店で今よく売れているのが、私が今持っているこの「平成のクリアファイル」(写真)です。
通販で買われたり、数十枚単位で注文される方も多いそうです。
カレンダー業界は、改元が決まって、かなり前から「西暦で行く」と決めていたようです。
ところが、西暦で売るわけにはいかないものもあります。その一つが、宮内庁が管理する皇室文化の普及活動をされている「菊陽文化協会」が発行する「皇室カレンダー」です。
私は、「もしかするとこっそり新元号が書いてあるかも?」(笑)と思い、昨年末このカレンダーを購入してみたんです。
ワクワクしながら5月のページを開くと、残念ながら「新元号元年」としか書いてありませんでした。現在の皇太子・皇太子妃殿下お二人が、天皇皇后両陛下として並ばれている写真が使われていました。
ということで、まずは元号の意義からお話ししようと思います。
元号は「元号法」という法律に基づいております。第1条は、「元号は政令で定める」。第2条は、「元号は皇位の継承があった場合に限り改める」です。
「政令」ですから、元号は内閣によって決められます。そしてそれは皇位継承と連動して決定されるということです。
日本国憲法には、「天皇は国政に関する権能を有しない」とあります。この規定に配慮して元号の決定に天皇は関わらないとされたのです。これは法的な建前です。
しかし、それでも「皇位継承との連動」は維持されてきました。「元号は天皇が決めてきた」という歴史的な建前があったからです。
この二つの建前をどう両立させるか。これは大きな問題です。
たとえば、平成改元の際には、内閣が決め、その直後に、宮内庁に元号の決定が報告されました。そして、すぐに宮内庁に車を走らせ、政令に天皇の署名をいただいてから、官房長官の小渕恵三さんが「平成」を発表したのです。前回の改元時には、このようにして二つの建前のバランスが取られました。
ところが、今回の新元号は「1か月前に公表する」とされています。
ですから「政令によって定める」はクリアです。しかし「皇位継承との連動」をどうするか。そういう点から言うと、「あまり早く決めてもらっては困る」となるわけです。
昭和54年6月6日に成立したこの元号法ですが、制定の際に特に大きな貢献をされたのが、衆議院内閣委員会に参考人として呼ばれた坂本太郎先生です。歴史学、日本古代史の大家で、東京大学の名誉教授でした。
年号制度は、漢字文化と暦の文化の結合として紀元前の中国に始まり、朝鮮半島やベトナムなど東アジア諸国に広がりました。日本もその中で、この制度を受容することになったのです。
しかし、今日、年号を用いる国は日本だけとなりました。
しかも、日本では現在でもそれが残っている、つまり「生きている」のです。「この制度は非常に珍しい文化であり、一種の無形文化財だ」とまで坂本先生はおっしゃっています。
その上で、先生は、年号制度の歴史的意義についてこう述べられました。
「まず第一に、元号は、現憲法の定める象徴天皇制下において天皇と国民とを結ぶきずなとして最も適当な制度」だと。
つまり、日本国と日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承と、国民が使う時間軸を連動させることは日本国憲法の精神にも沿うているということです。
そして二番目に、日本が『大宝』(701年)以来、「一度の断絶もなく独自の元号を用い、中国から何の干渉も受けなかったという事実は、独立国として光栄ある地位を保持した証左だ」とされました。
つまり、「独自の年号を持つことは独立国の証」ということです。
さらに、第三に、「無限に続く長い時間を区切るには、1年という単位より、さらに適当な上級の単位があるのが望ましい」と言われました。
たとえば、「大正デモクラシー」を「19世紀デモクラシー」と呼ぶとしたらどうでしょう。
あるいは、「天平文化」を「7世紀後半文化」と言ったら、何かぼんやりした感じになると思いませんか。
そういう歴史や文化の匂いを残す上でも元号を使うことはいいと先生は言うのです。
そこで、次の年号がどうなるか。皆さんも気になっているところだろうと思います。
元号の研究を長年続けてこられた所功先生や私は、そのヒントは「過去にボツになったもの、つまり過去提出されたが採用されなかった元号案の中にあるのでは?」とも考えています。
たとえば、「大正」は過去4回落選し、現在の「平成」も、「明治」の前の年号である「慶応」の採用時に落選しています。
時々の、それぞれの事情で落ちた案があるのです。たとえば水害による改元の時には「さんずいの漢字はダメ」とか。でも次の改元の時には問題ないわけです。
昨年、所功先生、吉野健一先生と『元号 年号から読み解く日本史』(文春新書)を出版しました。
この本の巻末に、「過去の未採用年号案一覧」を載せておりますので、こちらもぜひご参考にしていただければと思います(笑)。
ちなみに、
安(上 10 ・下 15 )安延 5 5 5 安化 1 1 安寛 2 2 安観 2 2 安慶 2 2 安恒 1 1 安治 2 2 安長 9 9 安徳 3 3 安寧 1/ 永安 16 16 皆安 1 1 享安 1 1 寛安 33 33 享安 1 1 建安 3 3 3 元安 2 2 至安 2 2 順安 1 1 1 大安 2 2 徳安 3 3 能安 1 1 1 宝安 2 2 万安 13 13 13 明安 5 5 陽安 1
育(下 1)長育 2
允(上 1)允徳 1
運(下 1)広運 1
永(上 20 ・下 13 )永安 )永安 16 16 16 永基 1 1 永吉 3 3 永光 1 1 永康 2 2 永錫 2 2 永受 3 3 永昌 1 永世 1 1 永清 1 1 1 永大 1 1 永貞 3 3 永禎 3 3 永同 1 1 永寧 10 10 永平 5 5 5 永宝 5 5 永命 2 2 永明 2 2 2 永隆 1/欽永 1 1 慶永 1 1 1 乾永 2 堅永 1 1 功永 1 1 弘永 1 1 正永 10 長永 2 2 徳永 5 5 仁永 2 2 寧永 1 1 万永 1 禄永 1
延(上 10 ・下 10 )延嘉 11 11 11 延化 1 1 延弘 1 1 延寿 14 14 延祥 1 1 延世 7 7 延善 1 1 延祚 16 16 延仁 3 3 延禄 7/安延 5 5 嘉延 17 17 17 享延 1 1 慶延 8 8 元延 4 4 寿延 2 2 承延 4 4 治延 1 1 徳延 4 4 寧延 1
応(上 7・下 13 )応寛 2 2 応観 1 1 応烋 1 1 応久 1 1 応元 4 4 応平 2 2 応宝 1 1 応暦 9 9 応禄 1/寛応 /寛応 1 1 久 応 1 1 享応 2 2 顕応 5 5 弘応 1 1 順応 2 2 祥応 2 2 昭応 1 1 瑞応 4 大応 24 治応 1 1 長応 3 3 禎応 1 1 仁 応 15 15 福応 3 3 万応 2
嘉(上 14 ・下 12 )嘉延 17 17 17 嘉観 7 7 嘉享 8 8 嘉恵 2 2 嘉高 1 1 嘉康 2 2 嘉彰 1 1 嘉政 4 4 嘉長 2 嘉徳 40 40 40 40 嘉仁 1 1 嘉福 7 7 嘉文 1 嘉猷 1 1 /延嘉 11 11 11 顕嘉 3 3 元嘉 1 1 建嘉 1 1 柔嘉 1 1 大嘉 3 3 長嘉 4 4 貞嘉 1 1 1 天嘉 3 3 徳嘉 1 文嘉 6 6 保嘉 1
化(下 13 )安化 )安化 1 1 延化 1 1 久化 1 1 寛化 1 1 元化 3 興化 1 1 昭化 1 1 神化 1 1 政化 2 徳化 1 1 仁化 1 1 1 明化 2 2 正化 1
遐(上 1)遐長 1
皆(上 1)皆安 1
会(上 1)会同 1
開(上 1)開成 1
寛(上 9・下 8)寛安 33 33 33 寛応 1 1 寛久 2 2 寛化 1 1 寛恵 4 4 寛承 2 2 寛寧 2 2 寛裕 15 15 15 寛禄 9/安寛 2 2 応 寛 2 2 承寛 1 1 靖寛 1 1 大寛 2 2 天寛 1 1 文寛 5 5 養寛 1
観(上 3・下 10 )観国 1 1 観仁 2 2 観徳 5/安観 2 2 応観 2 2 嘉観 7 7 元観 3 3 正観 2 2 大観 2 2 長観 1 1 天 観 9 9 文観 7 7 宝観 2
咸(上 5)咸章 1 1 咸定 1 1 1 咸寧 2 2 咸保 1 1 咸和 6
監(上 2)監漢 1 監漢 1
さて、この中に「あるのでしょうか?」
楽しみですね!!