魂の編集長 水谷謹人
「巣ごもり消費」という言葉をよく見かけるようになった。ネット通販やカタログ通販などを利用して家にいながら買い物をすることをいう。
今までも近くのお店ですぐ手に入らないような商品をネットで買い求める傾向は確かにあったが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で外出を控えるようになってからというもの、日用品や食料品まで宅配してもらおうという人が激増しているらしい。
人は便利さになびくものである。「巣ごもり消費」の便利さに一度味をしめてしまった人たちのこの傾向が、もし新型コロナウイルスが収束した後もずっと続いたら日本人の消費生活はここから大きく変わっていくに違いない。
そうなると益々深刻化するのは、人手不足に悩む運送業界だ。日本中の人がクリック一つで買い物をするのはいいが、配達するのは今はまだ「人」である。玄関で品物を受け取って消費者は満足するが、一軒一軒回って、時には留守の場合、二度三度その家に行かなければならないトラックドライバーにとって、仕事とはいえ、大変な疲労とストレスだろう。
随分前に聞いたヤマト運輸(株)の都築幹彦(つづき・みきひこ)元社長の講演を思い出した。宅配が当たり前ではなかった時代の話である。
当時の大和運輸は、松下電器の商品を工場から販売店に配送する業者だった。1960年代に高速道路が全国に整備され、同業社が参入し、大和運輸は経営危機に陥っていた。
そこで新たな事業として小倉昌男社長が考えたのが、個人から預かった荷物を個人へ、しかも翌日届ける宅配業だった。
当時、宅配業をやっていたのは郵便局だけだった。小倉社長はその郵便事業に疑問を持っていた。
まず郵便局が取り扱いできる小包みの重量が6キログラムまでであること。郵便局の窓口では預かり証の発行はなく、紛失しても責任の所在がなかったこと。受取証明が必要な場合は書留料金を上乗せしなければならないし、急ぎの場合は速達料金を余分に払わなければならないこと。
ちなみに6キログラムを超える小荷物は国鉄(現JR)が取り扱っていた。その場合、都市部宛の荷物は配達したが、郡部の荷物は「駅留め」だった。「荷物が届いています」と連絡を受けると、郡部の人は駅まで受け取りに行くという不平等な仕組みだった。
業態が違うが同じ配送のプロとして小倉社長は、自分たちが宅配をすればそれらをすべてカバーできると思った。
商業輸送から宅配への転換は、役員会で反対された。「今まで通りでいいじゃないか」「そんなことしてうまくいくのか」と、労働組合からも従業員からも反対されたが、小倉社長と常務だった都築さんは生き残りを賭けて宅配事業に踏み切った。
まず大口顧客の松下電器との契約を打ち切った。もう後戻りできなくなった。
許認可を与える所管省庁は運輸省で、交渉は都築さんが担当した。当時、大和運輸が運輸省から営業許可をもらっていたのは関東を拠点に西は大阪まで、東は仙台までだった。宅配をやるなら47都道府県の営業許可が必要だったが、運輸省はそれを認めなかった。「法律と規制」という大きな壁があった。
度重なる交渉の末、「地方の運送業者が大和運輸の参入を承諾したら営業許可を出す」と言ってくれた。一県一県交渉した。
結局、47都道府県すべての許可を取るのに15年かかった。
都築さんは郵政省の職員にも国鉄の幹部にも「我々の宅配業が成功したら、郵便局の小包みも国鉄の小荷物もなくなるよ」と言い切った。慌てた当時の郵政省は改善に改善を重ね、「ゆうパック」や「ふるさと小包」などのアイデアを生み出したが、動かなかった国鉄の小荷物取扱いは消滅した。
便利なものの背景には、見えないところで凄まじい苦労や闘いがあるものだ。ここまで便利になった一方で、今なお物流の現場は過酷を極めている。
いずれドローン宅配も始動するだろうが、今できる最低限のマナーとして「宅配ボックス」などを設置して再配達を回避したいものだ。そして時には外出して街の風景に溶け込みながら買い物を楽しもうではないか。
今、今までに経験したことのない状況を経験しています。
経済界も大混乱しています。
便利なものの背景には、見えないところで凄まじい苦労や闘いがあるものだ。ここまで便利になった一方で、今なお物流の現場は過酷を極めている。
という話ではありませんが、現在、教育界でも医療界でも経済界でも
「過酷を極めて」います。
そんな中で「現場では、苦労や闘いが・・・・」きっと・・・・。
身近にも医療関係者がいますが、「大変」です。
過酷を極めている・・・・・・。
がんばれ!!日本!!