魂の編集長 水谷謹人 より
本紙に掲載された講演記事の中から10本を選んで集録した『心揺るがす講演を読む』(ごま書房新社)が7月1日に発売された。出版社によると、これが売れたら今後シリーズ化していけるそうだ。その本のプロローグに、「はじめにあったのは“言葉”ではなく“思い”ではないか」と書いた。
新約聖書の冒頭に「はじめに言葉があった」と書かれている。その言葉とは何か。どうも旧約聖書の最初のページにある「光あれ」という神の言葉らしい。
それまで闇でしかなかった世界に光が生まれ、そこから天地創造が展開していくのだが、そのすべては「光あれ」という言葉から始まったのだという。
しかし、言葉は“思い”が形になったものだ。たとえば、講演会で語られる講師の言葉から我々がキャッチするのは、講師の「伝えたい」という強い“思い”である。
神様にもきっと「光あれ」と発せられる前に、「こんな世界をつくろう」という“思い”があったはずだ。「その世界を人間に治めてもらおう」「その人間も1人だと寂しいからペアにしよう」「その人間には幸せになってもらいたいから、そのために絶対必要なもの、愛とか自由というものを本能的に求める心をつくろう」、そんな創造主の“思い”が、我々人類のDNAに最初から入っているのではないか。
だから正確には「はじめに“思い”があった。思いは言葉になった」と思うのだ。
さて、話は一気に世俗的になる。昨年出版された小説『M 愛すべき人がいて』が、今年4月からドラマ化され、話題になった。
90年代後半、今までにない新しい音楽を若者の世界に送り込んだ音楽事務所エイベックスの松浦勝人(まつうら・まさと)氏が、「浜崎あゆみ」という新人を発掘し磨いて、時代をリードするトップアーティストに育て上げるまでの凄まじい愛と闘いの物語である。
原作は、作家の小松成美さんが松浦、浜崎両人にインタビューし、事実に即して小説仕立てに書き上げたものだが、ドラマは放送作家の鈴木おさむ氏が、あること・ないこと付け足してフィクションにしている。
その中で松浦氏は「マサ」、浜崎あゆみは「アユ」という名で登場するのだが、このマサのアユに対する“思い”が半端ない。
マサがアユと出会った時、アユは既に大手芸能事務所に所属していた。引き抜きは業界のルール違反。マサはその事務所に乗り込み、社長に土下座して移籍を願い出る。「お前が彼女をダイヤの原石というならうちで育てる」と主張する社長に、マサは言う。
「申し訳ありませんが、アユは俺以外の人間が磨いても石のまま。俺が磨いた時だけ輝きます」、そう言い切って移籍を実現させた。
厳しい特訓中、耐えきれずへたり込み泣き出してしまうアユにマサが怒鳴りまくる。「今を見て泣くな! 未来を想像するんだ」
マサが会社の会議にアユを呼び出し、幹部に紹介するシーンがある。幹部たちは「この子は売れない」「田舎臭い」「時代に合わない」と言いたい放題の中、マサは声を荒らげる。「全員が反対しても俺はアユをデビューさせる。俺は宣言する。数年後、ここにいる全員のボーナスを全部アユが稼ぎ出す」
マサはアユをアイドルではなくアーティストにするため作詞をさせる。しかし、アユは作詞などしたことがない。書けずに苦しんでいるとマサが囁く。「今の気持ちが全部歌詞になる。お前の言葉が世の中の若者の背中を押す時代が必ず来る」
深夜、東京ドームの前でこんなことを言うシーンも。「お前はいつか必ずここのステージに立つ。夢の先をイメージできない奴は、夢には辿り着けない」
デビュー後の浜崎あゆみの活躍はご承知の通り。3年連続日本レコード大賞受賞も、CDの総売上枚数5000万枚突破も、ソロ歌手としては前人未到の快挙である。
人生を引き上げるには強烈な“思い”のこもった言葉が必要だ。だから本を読む。映画やドラマのセリフにときめく。大切な人の言葉に背中を押される。そして我々は講演の中に珠玉の言葉を見つける。
誰かの為に語られたそれらの言葉に触れると、自分に向けられた言葉だと思えてくるから不思議である。
われわれの仕事も同じだと思います。
「思い」のない教育は、ただの言葉の・・・・・。
様々な教育活動の根底には、その先生の「熱い思い」に裏打ちされていることを
願っています。
子どもたちは、言葉の操り人形ではないのだから・・・・。
よろしくお願いいたしますね!!