魂の編集長 水谷謹人
『Fukushima50』(ふくしまフィフティー)という映画のタイトルは、海外のメ
ディアが、東日本大震災の時、福島第一原発の被害を最小限に食い止めた50人の
作業員に敬意を表して使った言葉だ。「反原発」でも「原発推進」の映画でもない。
観客はこの映画を観て、たった一つのことを知る。それは「あの時、あの中で
こんなことが起きていたのか」と。本当はもっと早く知りたかった。しかし真実を
明らかにすることの難しさがあった。
原作『死の淵を見た男』の著者・門田隆将さんは、取材をすべく福島第一原発の
吉田昌郎(よしだ・まさお)所長に接触を試みるも、東京電力の規制が厳しかった。
そこで吉田所長と親しい人を訪ね歩き、その人たちから説得してもらい、ようやく
会って話を聞くことができた。震災から1年4か月が経っていた。吉田さんは
食道がんで療養中だった。
東京電力本社と吉田さんが室長を務める緊急時対策室とのテレビ会議の様子や、
放射線量が致死量を超える原子炉建屋(たてや)に二人ずつ突入して、爆発を
防ぐために作業したことなど、あの時の全貌を包み隠さず吉田さんは語った。
さらに吉田さんの口添えで、作業員一人ひとりと接触し、取材することもできた。
この本を読んで映画化に踏み切ったのは角川映画の角川歴彦(かどかわ・
つぐひこ)氏である。「テーマがテーマなだけに映画のスタッフはもちろん、
わが社の社員に至るまで、匕首(あいくち)を突き付けつつ僕の想いを共有して
もらった」と言うほど、角川氏は、吉田所長とあの50人の命懸けの闘いを、
どうしてもメディアの中で最も影響力のある「映画」で再現したいと思い、
制作を買って出た。
さて、『Fukushima50』は、事が起きた後に過去の真実を描いているが、
今起きている新型コロナウイルスの大惨事を、まるで予言するかのように描いた
映画が2009年に公開されていた。『感染列島』である。ある日、フィリピンの山奥
の村で鳥インフルエンザが発生する。WHO(世界保健機関)の介入で感染を
封じ込めたかに見えたが、一人の男が結婚式の土産にするため、村から鶏を一羽
持ち出していた。男は舟に乗り街へ向かった。既に男はウイルスに感染していた。
場面は新年の日本に切り替わる。ある都市の総合病院を若い夫婦が受診に訪れる。
その数日前、東南アジアで医療活動をしている妻の父親がお正月で日本に帰省し、
この夫婦と一緒に過ごしていた。父親が再び現地に戻った後、夫は体調を崩した。
医師は風邪と診断し、念のためにインフルエンザの検査も行った。翌日、夫の容態
が急変して病院に搬送されてきた。検査結果は得体のしれない新種のウイルス
だった。緊急入院と隔離の措置が取られた。慌てて医療スタッフはマスクを
着用するが、時すでに遅し。ウイルスは妻にも、対応した医師にも感染し、
さらに医療スタッフから患者へ、外来患者から街へと拡大した。
数日後、大勢の患者が押し寄せ、病院は大パニックになった。
そして感染は、じわじわと日本中に広がっていった―。
随分前に観た映画だが、当時はそれほど問題意識もなく観たように思う。
先週もう一度観てみた。今、新型コロナウイルスで都心の病院、あるいは
ニューヨークやイタリアの病院はまさにこういう状況なのではないか。
ひしひしと現場の緊張が伝わってきた。
2014年には韓国でもウイルス感染の映画『FLU(フル) 運命の36時間』が
公開されている。こちらはお国柄か、国民性なのか、政府の対応に不満を持つ
数千人の市民が蜂起し、暴動が起きる。それを鎮めるべく、軍隊が市民に発砲する
という展開だった。
あくまでも映画だと思いきや、先週フィリピンの大統領が、都市封鎖に伴う
移動制限に抗議する過激な市民に対して「射殺を命じることを躊躇しない」と
発表していて驚いた。いずれの映画も、感染から回復した人には抗体があるはず
と、回復者の血清からワクチンを作ることに成功し、事態は終息する。気が付くと
世界中が被災地になってしまった。そんな中、日本は原爆や大震災など、
未曾有の苦難をいくつも乗り超えてきた国である。今の現実はやがて過去のものと
なり、語り継ぐ記憶になるだろう。「負げねえぞ!」、こんな東北の言葉が聞こえてくる。
わが愛知県は「南海トラフ地震」のような「大震災」は経験していません。
「伊勢湾台風?」は、私の親世代は経験していますが・・・。
しかし、阪神淡路大震災や東日本大震災など「多くの大災害」を日本は経験し、
多くの「ボランティア精神」や「日本の道徳心」で乗り越えてきました。
長期戦!と言われていますが、「朝の来ない夜はない!」
東日本やそのほかの災害地では、「まだまだ、復興作業が続いて」います。
「負けねえぞ!」
がんばろう!!日本!!