我武者羅應援團團長 武藤貴宏より
私が進学した地元埼玉の高校には、37年の歴史のある応援団がありました。
なぜだかわかりませんがその応援団に憧れ、私はすぐに入団しました。しかし新入生約400人のうち入団したのは私1人。団には怖そうな先輩が12人もいました。
練習初日、先輩方の声出しの迫力に、私はすっかりビビりました。毎日辞めたい理由ばかりが浮かびました。
結局私は2週間で応援団から逃げ出しました。その日を境に「逃亡生活」が始まりました。
応援団の先輩たちは、私を連れ戻そうと休み時間ごとに教室にやって来ます。だから私は休み時間ごとに教室から姿を消し、隠れなければなりませんでした。
そして2年生の秋になり、新入団員がゼロだったことで応援団はいよいよ消滅の危機を迎えます。
ある日の全校集会で、応援団の先輩方が壇上に勢揃いし、下級生に頭を下げながら言いました。
「誰か応援団に入ってもらえないか。この団の伝統を引き継いでもらえないか」
私は「今からでもやり直せるんじゃないか」と思いましたが、すぐに「いや、今さらやっても遅いのではないか」と思い、一歩踏み出すことができませんでした。
結局、新入団員が入らなかったわが母校の応援団は37年の歴史を閉じ、そのまま廃部となってしまいました。
「応援団が潰れてしまったのは俺のせいだ」と、後悔しました。
たとえ周りの人が知らなくても自分自身は知っています、「自分が一歩踏み出せなかった、逃げてしまった」ということを。
それからの私は、勉強も運動も、すべてが中途半端になり、何かやろうとしてもやる前に心にブレーキがかかり、逃げ癖がついてしまいました。
「この情けない自分をどうにかして変えたい。自分に自信を持ちたい」と必死に考えました。そして思いついたのが英会話でした。
家の近くに英会話スクールがあったので体験講座に申し込みました。日本人男性スタッフのMさんが対応してくださいました。25歳くらいで、身長はだいたい170センチ、笑顔が素敵で優しそうな方でした。
私、中学校時代はバスケ部の副キャプテンで、アメリカのプロバスケットボールリーグNBAのチーム「シャーロットホーネッツ」に夢中でした。
その話をするとMさんは、「僕も学生時代はバスケ部でね、すごく集中するとダンクシュートもできたよ」と言いました。
しかもMさんの「シャーロットホーネッツ」の発音はとても流暢(りゅうちょう)で「本場」を感じさせるものでした。Mさんは一気に私にとっての「スーパースター」になりました。
「英語どこで覚えたんすか。もしかして帰国子女ですか?」と尋ねると、Mさんは答えました。
「僕は世界が見たくなって、高校卒業してアメリカの大学に留学したんだ。でも親は絶対反対すると思ったから、とにかくアメリカに行って、着いた空港から『母さん、俺今から留学する』と電話で言ったんだ」と。
そしてMさんは、留学中に英語を覚え、大学のバスケットボール大会でも活躍したと話してくれました。
私は、鼻血が出るくらい、マックスフルテンションの興奮状態になりました。あまりにカッコよかったので、勢いでさらに聞きました。
「僕もMさんみたいにアメリカの大学に行きたいです。僕にも行けますか?」
Mさんは、私の目をじっと見て言いました。
「武藤君、君は何かやりたいと思った時、できそうかできなさそうかで決めるの? そんなのつまんなくないか。大事なのは、やりたいかやりたくないかだよ。一番大事なのは自分の気持ちだよ。武藤君が本気になりさえすれば、世界なんて変わっちゃうんだよ」
衝撃を受けました。完全にやられました。頭にダンクシュートを打ち込まれたような衝撃でした。
「俺もアメリカの大学に行きたい。そうすればきっとみんな認めてくれる。自分に自信が持てるようになる。自分は変われる」と思いました。
そして19歳の時、友だちや家族に、「アメリカの大学に行ってくる。卒業するまでぜってぇ帰ってこねぇ」と啖呵を切り、バーモント州バーリントン空港行きの片道チケットと大きなトランクを持ってアメリカへと旅立ちました。
でも、成田からアメリカに飛ぶ飛行機の中からもう後悔が始まりました。
これからの生活が不安で怖くて涙が止まらず、「人生の選択肢を間違えた」と思いました。
アメリカの大学での生活が始まりました。でも、そもそも英語が分からないんです。授業で先生が何を言ってるんだか、宿題がどこなんだかも分かりません。そんな状態が毎日続きました。
友だちもなかなかできません。いつもひとりぼっちで寂しく、情けない思いをたくさんしました。
「日本に逃げ帰ろう」と何度も思いました。でも、「ここで逃げたら高校の応援団の時と一緒じゃねぇか」と思いました。だから必死にもがきながら踏ん張り、アメリカの大学を卒業しました。
今?現代は?「自由な時間」を与えられても「与えられることに慣れてしまった?」
そんな生活で身についた週間で、時間を持て余す人が多くいるようです。
「やりたいことがない?」「やりたいことが分からない?」人が増えたようです。
できるできない?のレベルではなく、・・・・???
今の日本人に求められる「1から2を生み出すのではなく、0から1を生み出す」
そんな感覚は、何もない自由な時間の「使い方」なのかもしれません。
親愛なる日中健児のみなさん!
今、学校がありません。
学校から「課題」は与えられる?かもしれませんが、
それは、与えられた課題であって、「自分自身がやりたい課題」ではないのです。
学校からの課題は、すぐに片づけて「自分自身のやりたい課題」をやりましょう!
将来につなげるために!!
がんばれ!!日中健児!!