中部特派員 山本孝弘
最近、軽トラックの助手席に子どもが乗っている光景を何度か目にした。
学校が臨時休校になり、低学年の子どもを預ける場所や面倒を見てくれる人がおらず、邪魔にならない範囲で父親の仕事に付いてきたのではないかと思われた。
先日テレビで、あるタレントがこんな発言をしていた。「ウイルス騒動がもたらしたプラスの面があるとすれば家族間の会話が増えたことじゃないですか」
冒頭の光景もある意味、その「プラスの面」として捉えられる気がする。働く親の姿を子どもに見せることができる職業は少ないかもしれないが、可能ならそれは素晴らしいことだ。
昭和40年代まで、田植えと稲刈りの繁忙期には家が農家であるかないかにかかわらず、学校を臨時休校にする地域が多かった。子どもたちが農作業を手伝うためである。平成初期までその慣習があったり、今でもその名残りを留める地方もあるそうだ。子どもの頃にその経験がある私の母は、「学校に行っているほうがよほど楽だった」と言っていた。そういう手伝いほど親の仕事の大変さを理解するのに効果のあるものはないだろう。
私は今、中学校や高校で生徒に講話をする活動をしているが、「仕事をする意味を伝えてほしい」と事前に依頼されることも多い。
「お金を稼ぐこと」以外に働く意味を見出していない生徒が少なくないそうだ。
「働くとは何なのか」というテーマで、いろんな人のエピソードを話していると、だんだん生徒たちの目が開いてくることが何度かあった。
定年退職した後に悠々自適に暮らせる貯蓄があるにもかかわらずボランティアをする人や、高額の報酬を放棄して過疎地や発展途上国に出向いて医療を続ける医師がいる。
彼らの行動の意味を生徒に問い掛けると、「仕事を通して世の中の役に立ちたい」という思いが理解でき、お金を稼ぐだけではない目的を考え出すようだ。
さて、9年前に亡くなった私の父は中学を出てずっと工場で働いていた。私は仕事をしている父を見たことがない。
ただ、一度だけ、父がフォークリフトを思いのままに操って作業をするところを見たことがある。
うちの近所の小さな工場で何か荷崩れのようなトラブルがあり、土曜日だったため、工場にフォークリフトを操作できる人がいなかった。たまたま家の庭にいた父がその様子を目にし、「俺の出番だ」と言って勝手に作業着を着て張り切って手伝いに行ったのだった。
普通自動車免許すら持っていない父だったので、その姿は私にはとても物珍しかった。と同時にとても誇らしかった。
(株)タニサケの会長・松岡浩さんが書かれた小冊子『一流の日本人をめざして』にこんな話が載っている。
休みの日には昼間から焼酎を飲んでいるだけの父親がいる。母親に「掃除の邪魔よ」とか「粗大ごみ」と言われて、「うまいこと言うなぁ」と受け流し、怒ろうともせずゲラゲラ笑う父親である。
息子はそんな父親を不甲斐ないと思っていた。友人の父親がみんな立派に見えて羨ましく思えて涙を流したこともあったという。
そんな彼がある日、偶然仕事をしている父親の姿を見る。高層ビルの建設現場だった。8階の最高層辺りで命綱を着けていた。遠くに見える父親が偉大に見え、彼はその場に立ち竦(すく)んだ。
「あの飲み助の親父があんな危険なところで働いている。体を張って僕を育ててくれている」、そう思った息子の目には涙が溢れていたという。
息子は「あの父の子どもであることを誇りに思い生きていこう」と誓ったという話だった。
今回のウイルス騒動で、普段通り日々働き世の中を回していけることがどれほど尊いことか痛感する毎日である。
そして在宅ワークや冒頭の例のようにその働くことの尊さを図らずも子どもに見せる機会ができた人がいる。それも今回の件がもたらしたプラスの面と捉えたい。
暗がりで光を探し求めるように、今は明るい話題を探して心を前向きにすることが世の中を良い方向へ変えていくことになるのではないだろうか。