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2020/04/14

4月14日(火)日本購読新聞

Tweet ThisSend to Facebook | by 日進中学校管理者
「29万頭の殺処分 あの時、そこは戦場だった」
前西都市長(宮崎県) 橋田和実
 「口蹄疫が蔓延すると国が滅びる」、これは昔から言われている言葉です。
  私は市長になる前、畜産技術員として仕事をしていましたが、この言葉の意味を
深く考えたことはありませんでした。というのも口蹄疫は人間には感染しません。
家畜特有の伝染病なので、大袈裟じゃないかと思ってもいました。
 ところが口蹄疫の第一例が2010年4月20日、宮崎県で発生しました。
その後、私はその言葉を身体で痛感するのです。日を追うごとに感染地域は広がり、
感染を食い止めるために健康な牛や豚までワクチン接種をして殺処分すること
になりました。結果的に29万7808頭の家畜が犠牲になりました。最初の頃は
農協の職員と獣医さんたちで殺処分していたのですが、その数が多くなり、
西都市の職員も駆り出されることになりました。
  農協の職員と市役所の職員で20人から30人の班を10班編成しました。1班ずつ
日替わりで現場に出るんです。今日行った班が次に行くのは10日後です。
殺処分場から役所に帰ってきますよね。みんな泣きそうな顔をしているんです。
ある課長さんは「今日は寝れん。ご飯も食べられん。こんなつらいことは初めてだ。
もう行きたくない」と言っておりました。
  「そんなに大変なのか。それなら俺が行く」と言って、次の日から私は現場に
出ました。毎日行く班が替わるものですから、みんな段取りが分からないんです。
毎日出ているのは私だけです。ある程度、段取りが分かってきたので、私が指揮官
を買って出ました。全員防護服を着ています。顔が分かりません。だから私は背中
に「市長」と書いてもらいました。そして毎日現場でうちの職員に指示していき
ました。
  そのうち全国各地から動員された獣医さんや自衛隊の間で、「あのイチナガ
という男はよく働くなぁ」と噂になり、有名になりました。季節が6月になり
ました。梅雨ですから毎日雨です。足下はぬかるんで全身、泥と糞まみれです。
かと思えば日が照ると暑い。消石灰を撒くのでそれが肌に入ってただれる。
そういう環境で牛や豚と格闘する日々でした。
  1日あたり牛を300頭~400頭、豚を1500頭~2000頭のペースで殺処分・埋葬
しました。県が非常事態宣言を出したのは第一例目の発生から約1か月後の
5月18日でした。感染の広がりが止まらないんです。同時に国内初のワクチン接種
を国は発表しました。
  第一例目発生の農家から半径10キロ圏内の家畜は健康な家畜であってもすべて
ワクチンを打ち、殺処分して、そのエリアを無家畜状態にすることで蔓延を防ぐ
という対策です。これには多くの畜産農家が反対しました。ワクチンは感染を予防
するために打つわけですが、「家畜伝染病予防法」という法律によると、ワクチン
接種と殺処分・埋葬はイコールの関係なんです。
  その時はまだ西都市内には1頭も感染家畜が出ていませんでしたが、それでも
10キロ圏内に入っている農家がありましたから、そこの健康な牛を殺処分しなければ
なりませんでした。農家の心情を思うと私はたまらなくて、必死で国や県にワクチン
接種の反対を訴えました。しかし、5月20日、ついに西都市内で口蹄疫発生の連絡
が入り、私はしばらく身動きができないほど放心状態になりました。
  翌日、私は県庁に出向き、当時の東国原知事に「ワクチン接種やむを得ず」と
伝えました。その日から一軒一軒、ワクチン接種を農家にお願いしないといけ
ません。畜産技術員の時代にお付き合いのあった農家から訪問しました。
 
 Aさんは80歳を過ぎた繁殖農家の方でした。奥さんを先に亡くされ、1人で
牛3頭を飼っていて、それを生きがいに日々頑張っている人でした。夕方6時頃に
行きました。Aさんは仕事を終えて、焼酎を飲みながらテレビを見ていました。
「何か面白いテレビをやっていますか?」と言って家に上がらせてもらいました。
しばらく世間話をしました。牛の話になりました。
「うちの牛は点数がいいとですよ。登録検査が83点でした」と嬉しそうに言うん
です。「それはようできた牛ですね。よく育てられましたね」と私が言うと、
笑みを浮かべながら、「あと2、3日したら孫が産まれるとですよ。孫の顔を見る
のが楽しみじゃ」と言いました。「孫」というのは牛の子どものことです。
私は、「ワクチンを打たせてください」と言いに行ったのですが、一言も言えず
に、その日は帰りました。
  翌朝、Aさんに電話をしました。ワクチンを打つのは国の命令です。
法律でそうなっていますからどうしようもないんです。そしたらAさんは
「市長、昨日はワクチンを打たせてくださいと言いに来たっちゃろが。
分かっちょるど」と言うんです。そしてこう続けられました。
「ワクチンを打ちにすぐ来い。はよ来んと俺の気が変わっど」
私はすぐ獣医さんに連絡して職員と一緒に行ってもらいました。
そういう悲哀がたくさんありました。
  他にも「日本刀を構えているから来い」と脅す人もいました。
「うちの牛舎では殺さんでくれ。この近くに埋めんでくれ」という人もいました。
私ができることは、すべての農家さんのために国の補償をしっかり取り付けること
でした。

現在の「新型コロナウィルス感染拡大」が同じ状況だとは思いませんが、
安部首相、各都道府県の知事、各市町の首長なども「同じような苦渋の決断」
を余儀なくされていると考えています。
われわれ「校長」も同じです。
いざという苦渋の選択をするときに「日頃からの人間関係」が出ますね。
市長のように「苦しいけれども、市長の判断に任せた!」と言っていただけるよう
日頃から精進しなければ!!と、心を新たにしました!
今、我々ができることは「子どもたちに少しでも」寂しい思いをさせないように
「次の手を考え実行に移すこと」しかありません。
その中には「国」や「県」に強く要望する内容もあるかもしれません。
子どもたちのために「強い気持ちをもって」意見を言っていきたいと思います。
がんばれ!!日中健児!!
がんばろう!!日本!!

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